東京高等裁判所 平成4年(う)573号 判決 1995年7月26日
裁判所書記官
清水昭
本籍
東京都小金井市本町二丁目二五二七番地
住居
東京都杉並区浜田山一丁目七番二六号
会社役員
吉住隆弘
昭和一四年二月五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年三月二七日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官小谷文夫出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、主任弁護人宮原守男、弁護人若井英樹、同小松初男、同新井弘二連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官福井大海名義の答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。
そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、以下のとおり判断する。
第一被告人が受領した謝礼金の額に関する事実誤認の主張について
一 論旨は、要するに、原判決は、被告人の昭和六二年分の雑所得に関し、謝礼金収入を一億四五六二万円と認定しているが、右認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
すなわち、所論によれば、原判決は、被告人が不動産取引に関し、株式会社トース(以下、会社名を表示する場合、「株式会社」等を省くことがある)の代表取締役である須藤功(以下「須藤」という)から昭和六二年(以下、年につき特に昭和と断らないことがある)中に受領した謝礼金収入のうち、<1>豊島区高田三丁目物件については七〇〇〇万円(原判決は、昭和六二年中の受領金額を九一八三万円と認定した上、検察官が主張する七〇〇〇万円の限度で計上している)、<2>江東区南砂四丁目・深川二丁目物件については一八八四万円、<3>町田市鶴間物件については三四二八万円である旨認定しているが、実際は、<1>については四五〇〇万円、<2>については多くとも八〇〇万円、<3>については一二〇〇万円であり、右各認定額より合計五八一二万円少ないのであるから、仮に右各謝礼金が被告人の所得であるとしても、被告人の昭和六二年分の謝礼金収入は、前記一億四五六二万円ではなく、八七五〇万円である、というのである。
二 原判決は、須藤が国税当局に任意提出した計算メモのコピー一四枚(平成二年東京地方検察庁領第三一一号符四号)について、その作成の理由、経過、作成の方法などに関する関係者の供述やメモ自体の記載事項、様式などを詳細に検討した上、「メモの記載内容は十分信用できるといえるのであって、その記載内容に沿った金銭の授受が行われたものと推認でき、特に支払金額については、記載内容を疑わせるような事情がない以上、メモに記載された金額の金銭が支払われたものと認められる」とし、争点となっている四物件に関しても、「須藤のメモを疑うべき事情は存しないので、同四物件に関してもそのメモに記載あるとおりの金額が渡されたものと認められる」として、須藤が被告人に支払った謝礼金の額を認定するに当たり、メモ記載の金額を有力な根拠としている。これに対し、所論は、メモの記載内容にはその信用性を疑わせる点が多々あり、これに基づく金額の認定は誤りである、というのである。しかしながら、所論が指摘する点は、いずれも以下の理由により採ることができず、原判決の判断は、当裁判所も是認することができる。
1 所論は、株式会社オーシャンファーム(商号変更前は株式会社大洋興発)の代表取締役若松俊男からの謝礼金は若松が受け取った仲介手数料の三分の一にとどまり、また、須藤関係でも争いのない五物件の謝礼金はやはり須藤の取り分の三分の一以下にとどまるのであって、このような点からすれば被告人が須藤よりも多くの金額を得ることはあり得ないはずのところ、被告人の取り分が、もし原判決の認定のとおり高田三丁目物件については九一八三万円、南砂四丁目・深川二丁目物件については一八八四万円、町田市鶴間物件については三四二八万円であるとすれば、須藤の取り分は、高田三丁目物件については六一二一万円、南砂四丁目・深川二丁目物件についてはなし、町田市鶴間物件についてもなしとなってしまうのであり、このような配分結果は到底あり得ない、と主張する。
しかしながら、原判決も指摘するとおり、トースは零細不動産会社であり、業界の中堅会社である不二建設株式会社等の行う不動産取引に関与させてもらうことによって急激に売上げを伸ばし、不二建設やその関連会社の行う不動産取引について仲介手数料や転売利益などを得た場合、今後も取引に加わらせて欲しいとの趣旨で、取引の実権を握っていた被告人に謝礼金を渡してきたのである。このような須藤と被告人の力関係からすれば、ある取引に限定してみた場合に須藤が自己の取り分よりも被告人に多くを渡すことも決して不自然なこととはいえない。もちろん、所論指摘のように、須藤が利益にこだわらないということはあり得ないであろうが、須藤としては、それ故になおさら、ある特定の取引においては取り分を減らしてでも被告人との繋がりを深め、当該取引以降の継続的な関与と全体的な利益の獲得を期待することは十分あり得ることである。
現に、例えば、受領金額について争いのない阿佐ヶ谷南三丁目物件についてみると、原審証人須藤功の供述及び同人の平成二年三月一六日付、一七日付検察官に対する各供述調書(謄本、不同意部分を除く)、被告人の平成元年四月三日付大蔵事務官に対する質問てん末書及び平成二年二月一三日付検察官に対する供述調書、大蔵事務官作成の謝礼金収入調査書二通などの関係証拠によれば、同物件は、昭和六一年七月二六日付で不二建設からトースへ売却されているところ、不二建設においては、右物件を所有し続けるメリットがなく、損さえでなければよいという程度の意識でトースに買取らせたものであり、したがって、トースがさらにこれを転売して獲得した利益について被告人としてはあまり謝礼金を要求できる筋合いではないのに、被告人は、トースの転売利益の一部である七八七二万円という高額の謝礼金を受け取っている。また、被告人が懇意にしている内山勝実が代表取締役を務める喜久物産株式会社に対して、同社がこの物件の仲介業務を行っていないのに、トースは、被告人の指示により合計約一億円以上の仲介手数料を支払っている。
同じく受領金額に争いのない新宿区左門町物件については、長興株式会社とトースが売主で和光株式会社が買主であるところ、トースは名目上は売主から外れて仲介人として関与した形を取り、和光からの仲介手数料と、長興と折半して転売利益を得ており、被告人は、仲介手数料のほうから六一一万三二五〇円を、また、転売利益の中から二二六四万円を受領している。
このように、トース関連の取引においては、争いのない物件に関しても、いずれも被告人の指示により実質的に関与していない会社を関与させたり、不二建設や和光からトースへ支払われた仲介手数料以外から被告人への謝礼金が支払われるなどしているのであって、トースの取り分と被告人の取り分とを比較検討するに当たっては、不二建設及び和光の関係でトースの名前が出る場合ばかりでなく、それに引き続くトース関与の一連の取引をも含めて、全体として見ることが必要であり、さらに当該一物件の取引のみならず、取引全体との関係で謝礼金額として不自然であるかどうかを検討すべきである。
右のような実情を前提に、前掲関係証拠に基づき、争いのある取引に関して検討する。
(1) 高田三丁目物件は、不二建設及びモンド商事株式会社が共同売主となり買い手を探していた際、須藤が買い手としてオクト株式会社を見付けてきたものであるところ、被告人は、これまでの取引で世話になっている宏池企業株式会社に利益を上げさせるために、オクトを直接の買主にせずに、中間に右宏池企業を介在させ、不二建設及びモンド商事から宏池企業へ、宏池企業からオクトへと売買し、実質は仲介人にとどまるトースを不二建設及びモンド商事の販売代理人として宏池企業への売買に関与させ、また、宏池企業からオクトへの売買において仲介人として関与させている。トースは、右の販売代理手数料として売買代金額六一億二一四二万八〇〇〇円の約六パーセントに当たる三億六七二八万五〇〇〇円と、仲介手数料として売買代金額六五億〇七四六万四〇〇〇円の約三パーセントに当たる一億九〇〇〇万円を一旦取得し、右三億六七二八万五〇〇〇円の半分である一億八三六四万二五〇〇円を被告人の指示で和光に支払い、右一億九〇〇〇万円のうち一億四二四六万円をオクトの代表取締役である大川守正に対して謝礼金として支払っている。
このように、関与が必ずしも必要とも思われないのにトースを度々介在させて利益を上げさせた結果、トースには、二億三一〇〇万円余が残ったことになるのであり、これから被告人に支払われた九一八三万円と、以上のような操作をするために介入させたいわゆるB勘屋への支払い分を考慮しても、トースになお一億円に近い、すなわち、少なくとも被告人の受領額とほぼ同額の金員が残ったことが容易に推認できるのであるから、このような利益の配分は決して不自然とはいえない。
なお、所論は、高田三丁目物件に関するメモには九一八三万円の授受がなされた旨の記載があるところ、原判決は、これによって、被告人は昭和六二年一月に九一八三万円を一度に渡されたものであると認定(検察官は、六一年分として二一八三万円、六二年分として七〇〇〇万円を主張していたが、原判決は、実際には六一年一二月の支払はなく、六二年一月に一度に九一八三万円が支払われたと認定した上、六二年分について検察官の主張する七〇〇〇万円の限度で計上するに止めている)しているが、右メモを作成したとする須藤自身が捜査段階及び原審公判廷において、六一年一二月に二〇〇〇万円余り、また、翌六二年一月に七〇〇〇万円と二度に分けて支払った旨供述しているのであって、この一事を以てしてもメモの記載内容が信用できないことは明らかである、という。しかしながら、高田三丁目物件に関するメモの記載内容を見ると、そもそもメモの作成日や被告人に対する金銭の支払日などに関する日付の記載がないのであって、二度に分けて支払われたのか、あるいは一度に支払われたのかの点をメモ自体が明らかにしているわけではないこと、そして、被告人においてその受領金額を争っていない六一年分の阿佐ヶ谷南三丁目物件に関するメモにおいても、日付の記載は一切ないのであって、このことからも窺えるように、日付の記載がないからといって、メモの内容、殊に授受された金額についての記載の信用性に特に影響を及ぼすわけではないことなどに照らすと、メモの作成者である須藤が二度に分けて支払ったと供述しているからといって、メモの内容が右供述と相反するとも反しないともいえず、須藤の供述との不一致を指摘してメモの信用性を論難する所論には与し得ない。
(2) 南砂四丁目・深川二丁目物件については、須藤が買手としてオクトを紹介してきたものであるところ、被告人の指示により、トースは仲介ではなく売買の当事者として関与して同一機会に取引され、南砂四丁目物件は不二建設からトースへ、トースからオクトへと売買され、また、深川二丁目物件は和光からトースへ、トースからオクトへ売買されて、トース取得の右転売利益は合計二八三〇万円余となる。そのほか、被告人の指示により、当初の売主である不二建設及び和光の販売代理人として不二建設の関連会社であるシティプロジェクト株式会社を名目上関与させて同社に販売代理手数料を得させ、B勘屋である株式会社金馬商事を経由して合計二五一一万円余がトースに入り、また、オクトの仲介人として関与させた金馬商事の仲介手数料から合計五六〇〇万円がトースに入っている。そして、右二五一一万円余の中から被告人への謝礼金が支出され、また、五六〇〇万円の中からオクトの大川への謝礼金が支出されているが、被告人へ一八八四万円が支払われたとしてもトースには六〇〇万円余が残されているのであって、いずれにせよトースは転売利益自体を確保したほか、被告人らへの謝礼金支払いの残金までも確保している。加えて、両物件の取引と同日に関連取引としてオクトと和光間の江戸川区平井四丁目物件の取引が行われ、トースはその仲介手数料として三七〇〇万円を得ており、このうちかなりの部分がオクトの大川への謝礼金として使われたとしても、なお取り分を確保している。以上の経緯からすれば、トースの取り分がないという所論には到底与し得ない。
(3) 町田市鶴間物件は、当初はオクトの物件であり、トースの須藤が不二建設に持ち込んだものであるところ、不二建設において将来その上にマンションを建設してオクトに買い戻させるという含みで、そのときに報酬を払うからということで、右売買にあたってはトースに仲介手数料を支払わなかった。その後、結局、不二建設から大王製紙株式会社に売却されたが、被告人は、その間にハイネス恒産株式会社、宏池企業を入れ、トースを宏池企業の仲介人として宏池企業と大王製紙との間の取引に介在させて手数料収入を得させ、トースへの前示未払い報酬分を補填している。須藤は、この中から被告人の指示により岡崎興業に対して一〇〇〇万円を支払い、被告人に対して謝礼金三四二八万円を支払っているが、当初のオクトから不二建設への売買価格は、買戻しを前提としていたため安く、トースが宏池企業から受け取った売買代金の三パーセントである仲介手数料五五七〇万二〇〇〇円は、未払い分の補填の趣旨からすると明らかに過大なものであったから、右の各支払いには特段の不自然さはない。
2 なお、所論は、各メモのうち被告人自筆のものは、争いのある四物件に関するものと、争いのない阿佐ヶ谷南三丁目物件に関するものであるが、同物件に関するものですら、トースの転売利益が四億円以上であったのに、メモにはトース入金分として一億〇四九三万二五〇〇円としか記載しておらず、この点から分かるように、須藤自筆のメモは、真実を反映していない、と主張する。
たしかに、関係証拠によれば、右一億〇四九三万二五〇〇円という金額が真実を反映していないと認められるけれども、須藤がメモを残した趣旨は、トースの取り分を明確にすることにあったのではなく、被告人への支払額を明確にすることにあったことがその記載の内容自体から明らかであるから、自分が余りにも多額の転売利益を得ていることをあからさまにしたくないという気持ちからその点について真実を記載しなかったとしても不自然とはいえず、須藤自筆メモの被告人への謝礼金額の記載をおよそ信用できないと解する論拠とはなし得ない。
3 さらに、所論は、被告人自筆のメモが、トースに対する国税局の査察の初期の段階で発見されていたのであればまだしも、それよりはるか後の平成二年五月一一日になって突然須藤自身によって国税局に任意提出されたという不自然な経緯からしても、任意提出に至るまでに、新たなメモの作成や記載内容の変更が行われた可能性が多分にある、と主張する。
しかしながら、須藤は、原審において、被告人の示唆によるか須藤自身の被告人に対する配慮からかは明確にしないものの、本件メモについては、予め知人の長興株式会社の社長である笛田稔に預けたため、昭和六三年一一月のトース自身の法人税法違反の嫌疑による国税当局の捜索の際には差押を免れたものであり、須藤としては、関係書類をすべてを押収されてしまったこともあって、平成元年五月一一日にメモを任意提出するまでにこれを新たに作成したり金額を変更したりすることは不可能であり、そのようなことは絶対にしていない、と供述しているところ(原審記録一〇冊一六丁、七九丁)、右供述の信用性を疑わせるような事情は見出し得ないのである。すなわち、トースの法人税法違反の疑いの内容は、「架空支払手数料」の計上にあり、かつ、支払先として領収証が確保されているのはいわゆるB勘屋ばかりであって、税務当局が早い時期から架空であることを見抜いていたことは容易に推測できるのであるから、須藤としては、むしろ早い時期に、架空の領収証に見合う所得のうち相当部分が現実に被告人に対する謝礼金として支払われたことを明らかにし、トースの損金として認容してもらうのが得策であったはずである(須藤は、被告人に対する謝礼金がトースにとっては、税務当局によって損金処理された旨借述している。原審記録一〇冊四丁)。それにもかかわらず、前示のように須藤が平成元年五月一一日になって初てめメモを国税当局に提出したということは、被告人からの示唆によるか須藤自身の被告人に対する配慮からかはさておくとしても、トースの所得金額を偽るためよりも、むしろ被告人への謝礼金の支払いを隠す目的でメモを隠匿していたためであると理解するのが自然であり、したがって、新たにメモを作成したり、金額を変更(過大に)したりしたことはない旨の前記供述は十分信用することができる。
三 翻って、被告人自身の供述を見ると、前記平成二年二月一三日付検察官に対する供述調書において、各物件取引の経緯及び被告人の受領金額などについて、メモを参考にしつつ、ほぼ原判決の認定に沿う詳細かつ具体的な供述をしている。
もっとも、被告人は、原審第二回公判期日以降、そもそも謝礼金は被告人個人に帰属しないと主張するとともに、そのうちの四物件に関して虚偽の自白をしたとして受領金額を争い、その理由として、後記内山勝実を庇い、ひいては自己が専務取締役を務める不二建設や代表取締役を務める和光を庇うためであったことを強調するに至った。しかしながら、そのことと須藤からの受領金額が幾らであったかということは直接関係のないことであり、捜査段階においてもし被告人の記憶がメモの記載や須藤の言い分と異なるのであれば、容易に自らの主張を貫けたはずである。そして、被告人は、オーシャンファームの法人税法違反の嫌疑に関し、昭和六三年二月六日に国税局係官の質問調査を受けて以来、自らの所得税法違反及びトースの法人税法違反の嫌疑を含めて長期間にわたって度々質問調査を受け、須藤からの謝礼金受領の有無について問い質されながら、逮捕されるまで全面否認を続けた経緯があるのであって、その間に、須藤からそもそも幾らの謝礼金を受け取っているのかについて十分に自らの記憶に基づく整理ができたはずでもある。したがって、右供述調書中の受領金額について述べる部分は、被告人の当時の記憶と特に異なるものでないと見るのが合理的であり、この点に関する右供述調書の信用性を十分肯定することができひいてはメモ記載の授受全額についても信用性を肯定することができる。これに対して、所論に沿う被告人の原審及び当審における供述は、金額について具体的な資料や根拠に基づいて述べているわけではなく、いまだ争いのある四物件に関する各メモ記載の金額を否定するに足りるほど説得力のあるものとはいえない。
四 以上のとおり、所論にかんがみ検討しても、本件メモに記載された被告人への支払金額の信用性を疑わせる事情があるとはいえず、原判決が、右メモを中心に、原審証人須藤の供述及び同人の捜査段階の各供述調書(謄本、不同意部分を除く)、被告人の平成二年二月一三日付検察官に対する供述調書、大蔵事務官作成の謝礼金収入調査書二通などの関係証拠を総合して争いのある四物件についての謝礼金額を認定したことに事実の誤認があるとはいえない。論旨は理由がない。
第二被告人が受領した謝礼金の帰属に関する事実誤認の主張について
一 論旨は、要するに、昭和五九年から六二年にかけて被告人がオーシャンファームの代表取締役である若松俊男及びトースの代表取締役須藤功から受領した本件謝礼金はいずれも不二建設あるいは和光の裏金として、これらの会社に帰属するものであるから、これを被告人個人に帰属する被告人の雑所得であると認定した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
二 しかしながら、以下のような諸事情からすれば、本件謝礼金が会社ではなく被告人個人に帰属し、また、被告人においてもそのように認識していたものであることが明らかである。
1 すなわち、関係証拠上認められる本件謝礼金に関する被告人の受領、管理、運用などの方法は、不二建設の会社としての簿外資金の捻出、管理、運用などの方法と明らかに異なっており、本件謝礼金については、被告人が個人としてこれを実質上支配し、処分する権限を有し、その利益を享受していたものと認めるほかはない。
本件謝礼金は昭和五九年から六二年の四年間の合計で五億円を超すという多額のものであるが、すべて被告人が単独で受領している。また、受領について不二建設及び和光の代表取締役(和光の関係では昭和六一年四月以降は代表取締役会長)である山口慎一郎をはじめとする社内の者に報告せず、かえって、昭和六〇年か六一年ころ、不二建設の役員会の席上で被告人が不動産業者から裏金を受け取っているのではないかということが話題になった際、被告人は受け取っている旨答えずに話題をうやむやにしてしまったという経緯がある(当審証人伊藤影之の供述)。
本件謝礼金のかなりの部分は、不二建設や和光がオーシャンファームやトースに対して支払った法定の販売代理あるいは仲介の手数料の中から戻されたものであるが、昭和五九年以降不動産業界は好況を呈し、仲介手数料を法定額支払わないと良い物件が他社に流れてしまうことから、社内の稟議においては、社内の誰が担当した場合でも、また、どの仲介業者が介在した場合でも、仲介あるいは販売代理としての法定の手数料を払うこととされており、会社としてはそれが仲介業者にとって正当な報酬であると理解していた。したがって、会社としては、その中から薄外資金を調達するということは考えられなかった。
また、本件謝礼金の中には、その受領の根拠となっている不動産取引の態様からして、もし会社に帰属させるとすれば、不二建設と和光のいずれに帰属させるのか、幾らずつ帰属させるのかなど全く判然としないものが多い(例えば、控訴趣意書三六頁記載の<4>宇田川町物件、三七頁記載の<7>円山町物件、四〇頁記載の<5>南砂四丁目物件、四一頁記載の<6>深川二丁目物件の取引など)。そして、被告人には、会社それぞれの分に区別して金額を意識していた節も全く窺われない。
もちろん、被告人において各会社の事業年度ごとに受領金額を整理したこともない。
被告人は、本件謝礼金を当初自宅に保管し、その後、そのうちの相当部分で被告人名義で株式や債券を購入している。どのような銘柄を何時、どれだけ購入し、何時、どのような値段で処分するかなどについて、会社の者と相談したり、結果を説明、報告したりしたことはないし、その損益についての正確な把握もない。そればかりか、正確な金額は確定できないまでも、昭和六二年の夏に、ラスベガスの賭博資金として三二〇〇万円を送金するなど、もっぱら私的な用途に供されたものも相当多額に及んでいる。
たしかに、被告人は、不二建設においては、昭和五五年から取締役に、また、和光において、同五七年から取締役に、同六一年四月からは代表取締役になるなど重要な地位にあり、特に不動産取引に関しては、強大な権限を有していた。しかし、被告人が如何に大きな権限を有していたとしても、不二建設などの会社の当時の組織、規模等からすると、会社の代表取締役あるいは取締役会等の授権なくして、会社の会社としての資金を、前記のように一個人がもっぱら単独でこれを受領、管理、運用するなどということは、到底考えられないところである。このことは、資金が会社としての公表上のものである場合はもちろん、いわゆる簿外資金に当たる場合であっても、程度の差こそあれ同様である。
また、当審証人伊藤は、不二建設において、昭和五五年一〇月から専務取締役の地位に、同六一年一二月から監査役の地位にあったが、不二建設の会社としての簿外資金について、「その調達方法は、会社が下請業者や材料業者に架空や水増しの発注をして一旦支払った後にバックさせるか、あるいは、顧客、つまり、建築主などから公表分と非公表分に分けて支払いを受けるというものであり、保管方法は、大阪、東京、名古屋などごとに一名の保管責任者を置き、その責任者が自宅で保管し、被告人が所属した東京支店における本件当時の保管責任者は門田宗市、次いで小川静一良であった。使途は、受注の相手方のいわばキーマンへの支払い、近隣ややくざ対策などの各種対策に使われ、また、二十数名の役員に対する裏賞与として使われたこともあった。個々の資金の入りと出は、それぞれの場合に直接授受に当たる者及び保管責任者が把握しているのであるが、代表取締役社長の山口が総合的に把握しており、裏金の保管額は東京支店の場合一番多いときで一億円程度であった」旨供述し、被告人自身も、原審において、会社としての裏金の保管、支出の方法などについて、右とほぼ同様の供述をしているのである(原審記録一一冊二六五丁など)。
2 須藤及び若松は、不二建設と和光との取引を今後とも持続し、取引上の利益を上げたいとの意図から本件謝礼金を支払っていたものと認められるが、そのことから所論のように謝礼金の帰属先が当然に会社となるわけではない。
被告人は、不二建設などの不動産取引に当たり、実質的な意味での取引当事者との間にどのような関連会社を介在させるか、オーシャンファームやトースを当事者として介在させるのか、仲介として関与させるのか、販売代理として関与させるのかなどについて、もっぱらその一存により決していたことが関係証拠上明らかであり、被告人の部下である安島正祥は、これを、「吉住さんが構想を立てて書いた絵に合わせて……」と表現している(同人の大蔵事務官に対する質問てん末書)。そして、取引に関与させてもらえるかどうか、また、どのような形で関与させてもらえるのかについて大いに利害関係を有する若松や須藤にしてみれば、所論にもかかわらず、不二建設などの会社としての組織体を意識するよりも、右のような権限を一手に掌握しいている被告人個人を意識していたものとみるのが自然である。この点に関し、若松は、「……当時から不動産業界での悪慣習といいますか、人間関係を親密にしておくという意味もあって……バックリベートを渡したりしておりました」「吉住はリベートを取る人間だとの評判もあり……」(若松の平成二年二月六日付検察官に対する供述調書謄本)などと供述しており、被告人に対してばかりでなく、他の不動産会社の担当者に対してのバックリベートの支払いも、すべて当該個人を意識していたことが明らかである。また、須藤も、原審において、被告人の本件謝礼金の使途については会社のために使うのであろうという認識ではあったが、バックリベートの金というのは吉住被告人個人に渡したのか、それとも不二建設という会社に渡したのか、どう思っていたか、との質問に対して、「渡さしていただいたのは吉住さん個人だと思います」、吉住が受け取ることは会社として「許しているとは思わなかった」(原審記録一〇冊七五丁、八一丁など)と答え、若松と同様に謝礼金支払いの対象として被告人個人を意識していた旨供述するのである。
3 被告人自身も、本件謝礼金が会社ではなく、被告人個人に帰属すると認識していたことが明らかである。
被告人は、昭和六二年夏ころ、オーシャンファームの取引会社に国税局の調査が入ったことを聞き、そのころ、被告人名義で株式取引をしていた野村證券新宿支店の口座を閉め、また、被告人の供述によると純粋に被告人及び家族の資金により取引していたという山一證券及び勧業角丸証券の各吉祥寺支店の口座をも閉めてしまった。その後、同年一一月ころ、オーシャンファームの若松に対して国税局の調査があったことから、若松とともに若松が作成したメモに基づき受領した謝礼金の額を確認し、税理士に相談した上、翌六三年二月四日、前記若松のメモにあるオーシャンファームからの謝礼金について、昭和六〇年分と六一年分の所得税の修正申告をしたが、若松のメモにはなかった四物件に関する謝礼金及びトースの須藤からの謝礼金のすべてについては修正申告をしなかった。そして、その二日後である二月六日、被告人は、オーシャンファームに対する法人税法違反の嫌疑に関連して国税局の調査を受け、若松から謝礼金を受け取っていること及びその謝礼金は会社ではなく被告人個人に帰属するものであることを明確に供述し、翌七日、不二建設の山口社長にオーシャンファームから謝礼金を受領していたことを打ち明けて謝罪した。その際にも、被告人は、不二建設等の会社の簿外資金として受け取ったという弁明や主張をしていない。翌八日、被告人は、不二建設の取締役を解任され、そのころ、会社として申告したほうが税金が安くなり得策であるという税理士の示唆により、山口社長に対して、不二建設の会社の所得として修正申告してほしい旨頼んだが、自分でやったことは自分で決着をつけるように言われて断られ、その数日後、不二建設を懲戒免職になった。被告人は、査察官の調査を受ける過程では当初の前記二月六日の段階から、謝礼金が自己の所得である旨断言し、同年七月には、前記若松のメモにはなかったオーシャンファームからの四物件の謝礼金等に関し再度修正申告を行なったが、トースの須藤からの謝礼金については、受領したことを否定し続けた。その後、被告人は、平成二年二月五日に本件で逮捕され、逮捕後は、検察官に対して、トースからも謝礼金を受領していたこと及び本件謝礼金が会社ではなく自己に帰属するものであることを一貫して認め、起訴後の同年三月一五日、トースからの謝礼金を含めて、改めて昭和六〇年ないし六二年分の所得税の修正申告をした。そして、被告人は、同年三月二七日の原審第一回公判期日において、本件公訴事実を全面的に認め、弁護人も、同期日に検察官が申請したすべての証拠について証拠とすることに同意して取調べを了したが、同日付保釈により釈放された後の同年七月一三日の第二回公判期日から否認に転じ、本件謝礼金の帰属を争うに至った。しかし、保釈された後も、同年四月一一日、二五日、七月三〇日と、特段の留保をすることなく修正申告にかかる本税及び附帯税の納付を続けて完納している。また、被告人は本件謝礼金の帰属を争いつつも、原審及び当審公判廷において、時に、本件謝礼金が被告人個人に帰属することを前提とした供述をしている。
右のうち、冒頭の証券会社の取引口座を閉めた点について、被告人は、発覚の不安を感じたからではなく、野村證券新宿支店においては新しく不二建設の資金運用が始まり、それとの混同の不安があったからであるというのであるが、被告人名義の従来の取引と、会社名義の取引が混同する恐れなどあろうはずがなく、また、吉祥寺支店の口座をもその際合わせて閉めたことは、被告人の弁解にもかかわらず、被告人が新宿支店と吉祥寺支店の株式取引等を同じ性質のものと認識していたか、あるいは、吉祥寺支店での株取引の原資にも本件謝礼金が混入していたことの証左であるといわざるを得ない。
被告人は、本件謝礼金の帰属に関し、捜査段階において認めた理由及び保釈後否認に転じた理由について、本件謝礼金うち二億二八〇〇万円を会社の業務のため内山勝実に支払ったが、そのことを明らかにすると内山に多大の迷惑を掛けることになるので絶対に口外できないとの気持と、ひいては会社の裏金の実情を明らかにしたくないという心情から、一切、個人の所得として事件を処理しようとした結果であり、否認に転じたのは、平成二年三月二七日の第一回公判期日後保釈されて、内山が四月二日に死亡したことを知り、既に庇うべき対象がなくなり、また、家族からも真実を明らかにすべきであると説得されたからである、と供述する。
しかし、会社から懲戒免職にされるなど、昭和六三年二月の時点で、既に、被告人と会社及び山口社長との間の信頼関係は破綻しており、被告人は、会社に全く取りあってもらえず、「正直言って今の会社は僕が作ったようなものですが、会社は冷たいと女房もノイローゼ気味になっています」などと供述している(二月一五日付大蔵事務官に対する質問てん末書)のであるから、その後もなお会社を庇い、会社の裏金の実情を明らかにしたくないという気持を維持していたということは理解し難いところである。
こうしてみると、先に認定した被告人の一連の行動(ただし、オーシャンファームからの四物件及びトース関係を当初供述しなかったことは、所論指摘のとおり個人に帰属するか会社に帰属するかの判断に直接影響するところではない)は、被告人自身、本件謝礼金が自己に帰属するものと認識していたことを十分に窺わせるのである。
三 なお、所論にかんがみ若干説明を補足しておく。
1 所論は、被告人は、昭和五八年ころから京都の実家関係の金を、被告人が不定期に会社から支給された報奨金などとともに自宅の小さめのトランクに保管し、本件謝礼金については、右トランクとは別個のやや大きめのトランクに入れて、区別して保管していたことを指摘する。
しかしながら、京都の実家関係の金は、実母の茶道具類の売却代金を中心とするものであり、遺産分割や実兄との貸借問題が絡んでいるものであったことが関係証拠上明らかであり、このような性質の金と本件謝礼金とを区別して保管していたとしても、それはむしろ当然のことといえるのであって、たとえ保管方法が所論のとおりであったとしても、本件謝礼金が被告人に帰属するものではないことを示す事情となるものではない。
被告人は、本件謝礼金のかなりの部分を原資として、野村證券新宿支店において、被告人独自の判断により、被告人名義で信用取引を含む株式取引をし、債券を購入している。所論は、本件当時は、資産運用は株式投資によることが最も有利であると喧伝されていた時期であるから、被告人の株式投資による資金の運用は、会社の資金の保管者として、原判決が説示するような「行き過ぎた不釣り合いな行動」でないことが明らかである、という。
しかし、裏金をこのように取り扱うことは、先に指摘した当時の不二建設の簿外資金の保管、運用等の方法と異なるものである上、被告人には、不二建設と和光のどちらの会社の資金を運用し、どちらの会社のために株式等を取得したのか、それぞれの損益がどのようになっているのかなどについて意識していた節も全く窺われないのである。そして、いかに会社にとって簿外資金であっても、単に現金のまま保管するのならまだしも、価格に変動があり、しかも臨機応変の対応がし難い株式や債券を購入して運用、保管することを会社に通じずに行うことは、やはり「行き過ぎた不釣り合いな行動」といわざるを得ない。このような株式投資の実態は、やはり本件謝礼金が被告人個人に帰属することを示すものというべきである。
2 所論は、不二建設及び和光は、不動産取引等に関して、関係業者に対して簿外で支払うべき債務を負うことがあり、被告人は、本件謝礼金によって、会社のこのような債務を支払い、また、支払うことを予定していたから、このような使途も本件謝礼金が会社に帰属することを裏付けるものである、と主張し、右主張のような趣旨での支払いや支払約束があったとは認められないとした原判決の認定及び判断に反論を加えている。
所論が主張し、被告人が原審及び当審において供述する債務の具体的内容は、<1>不二建設等と取引関係のある不動産会社である前示喜久物産及び建築設計監理会社である株式会社ユー・アンド・ユーの実質的な経営者である内山勝実に対する合計二億二八二〇万六〇〇〇円、<2>株式会社岩屋に対する合計一億一九三二万六〇〇〇円、<3>株式会社三晃設計に対する二〇〇〇万円であり、このうち内山に対する分二億二八〇〇万円は現に支払っている、というのである。
しかしながら、まず、先に検討したとおり、本件謝礼金についての実質的な処分権限が被告人にあることは明らかであり、これをいかなる用途に使用するかは被告人が自由に決し得るのであるから、仮に謝礼金の一部を何らかの理由で会社の債務の支払いに充てたとしても、そのことから、当初の所得の帰属そのものが遡って変更されるということもあり得ないのである。したがって、本件謝礼金の使途は、その帰属を決する上であまり重要な意味を持つものではない。
しかも、本件においては、不二建設等が会社として被告人が主張するような債務を負ったものとは到底理解することができない。すなわち、本件当時不二建設の代表取締役であり、また、昭和六一年四月まで和光の代表取締役でもあった原審証人山口慎一郎は、不二建設においては、会社が関連業者に対して金銭上の負担を負うに当たっては、担当者からの報告と社長の決裁を必要としていたが、被告人から、それぞれその当時、会社として右のような金銭を支払う約束をした、支払うことになった、あるいは実際に支払った、支払いの原資として何を充て、何を予定している、などについて報告を受けていないし決裁もしていないと供述し、被告人自身も、本件謝礼金の関係では被告人の一存でやった旨終始供述しているのであって、仮に被告人が内山その他の業者にその主張のような支払いの約束をしていたとしても、それは、原判決が説示するとおり「被告人の個人的な計らい」の域を出ないものというべきであり、不二建設等が会社として債務を負ったことにはならない。
3 所論は、内山への支払約束について力説するので、具体的に検討しておくと、所論の内容は、「不二建設は、昭和五九年ころから、内山と共同して、神奈川県大和市西鶴間所在の土地約五一〇三坪(以下「西鶴間物件」という)にマンションの建築計画を立て、内山の喜久物産が仲介者となって地主の阿波慶と買収交渉を行なった末、昭和六〇年二月二七日に、マンションの建築主となるハイネス恒産が阿波から右土地を購入し、不二建設はハイネス恒産からマンション工事を請け負った。しかし、阿波との売買交渉に当たった内山は、阿波から売買代金が要望額からかけ離れているとして裏金で二億円の支払いを要求され、やむなくそれに応じ、昭和六一年三月から六二年九月にかけて支払った。また、阿波の要求で三井信託銀行が形式上の仲介人になったため、内山の喜久物産はハイネス恒産から、当初予定していた仲介手数料の二分の一である五三二〇万六〇〇〇円しかもらえなくなり、また、内山のユー・アンド・ユーは右マンション事業の開発業務に関連して近隣対策費などの費用及び報酬として六〇〇〇万円を見積もっていたが、施主であるハイネス恒産はその二分の一の三〇〇〇万円しか支払ってくれなかった。そのため被告人は、内山の会社が阿波に対して支出を余儀なくされた裏金二億円や、得られるはずなのに得られなかった仲介手数料等合計八三二〇万六〇〇〇円について、不二建設も負担することとし、内山と協議して、五九年一二月ころに、裏金二億円のうち一億円と八三二〇万六〇〇〇円の合計一億八三二〇万六〇〇〇円を不二建設において簿外で支払うことになった。そこで、被告人は、昭和六一年二月に右支払を申し出たが、内山から、被告人が預かって内山のために株式取引で運用するよう頼まれたので、同年六月から翌六二年九月まで、本件謝礼金の中の一億七八〇〇円を野村證券新宿支店の被告人名義の口座で株式等に投資して運用した。その後、被告人は、同年一二月に株券等を一旦内山に返したが、翌六三年四月ころ、内山から再び保管を依頼されて、そのまま保管を続けてきた。その他、被告人は、内山に対し、不二建設や和光が内山に迷惑をかけた渋谷区代々木四丁目物件及び群馬県吾妻郡草津町の物件の取引に関連し、合計四五〇〇万円を不二建設等が支払う旨約束し、同六二年二月ころ、西鶴間物件関係の残金五〇〇万円と合わせて合計五〇〇〇万円をやはり本件謝礼金の中から支払った。右五〇〇〇万円については、内山が野村證券新宿支店において、自己名義で株式等に投資して運用した」というのである。
原判決は、右主張の前提となる内山が阿波に対し二億円の裏金の支払いを約束したとの点について、関係証拠により取引の経緯を詳細に認定した上、売主である阿波がなお二億円の裏金を要求していたというのは不合理であって考え難く、まして仲介業者に過ぎない内山にそれを要求し、内山がこれに応じたというのも不自然である、としてこれを排斥し、その余の内山関係の主張についても被告人の供述は信用できないとしてこれを排斥している。これに対して、所論は、種々の観点から原判決の判断を論難しているけれども、当審における事実取調べの結果を併せて検討してみても、右判断を覆すには至らない。
関係証拠によると、阿波は難しい人物であり、また、坪単価八〇万円を要求してなかなか買収に応じようとしなかったけれども、昭和五九年一二月ころ、ようやくハイネス恒産が買収できることになったこと、買収の坪単価についは、ハイネス恒産は、当初から坪約七〇万円を限度とする立場であったため、内山らと阿波との交渉により一旦坪六九万円と内定したが、阿波が五〇〇〇円の上乗せを要求し、もめた末、結局ハイネス恒産は坪六九万五〇〇〇円とすることを了承したこと、しかし、阿波は、さらに条件として、ハイネス恒産に対し、国土利用計画法二四条による勧告の価格如何にかかわらず、売買価格は坪六九万五〇〇〇円とし、勧告により売買価格を下げざるを得なくなったときにはその差額を支払うよう要求し、ハイネス恒産との間でその趣旨の念書を交わし、加えて、阿波は、ハイネス恒産が保証金として一億円を提供し、同法による勧告で仮に売買契約自体が中止になった場合には、うち三〇〇〇万円を阿波の方で没収する旨の条件をも出し、これについてもハイネス恒産は文書で応じたこと、そして、翌六〇年一月、同法二三条の届出がなされ、二四条の勧告はなく、同年二月二七日、阿波とハイネス恒産との間で、坪単価六九万五〇〇〇円で売買契約が成立したこと、同年三月二〇日、ハイネス恒産と内山のユー・アンド・ユーとの間で、一億三〇〇〇万円の報酬で設計監理業務委託契約が結ばれ、翌六一年三月一九日、ハイネス恒産と不二建設との間で、ユー・アンド・ユーを監理者として工費四四億六〇〇〇万円余のマンションの建設工事請負契約が結ばれたことが認められる。
このように、右売買契約には阿波の一方的な要求により、いわば裏取引ともいえる付随した契約が存在しているのであり、いかに、阿波が坪単価八〇万円にこだわっていたとしても、仲介人の立場に過ぎない内山がこれに加えてさらに二億円もの裏金の提供を約したなどということは、通常考え難いところである。この取引に関するハイネス恒産の担当者である原審証人富永保は、内山から阿波への金の動きを窺わせるような供述をしているけれども、それはあくまでも仄聞の域を出ず、具体性を欠くものであって、所論にもかかわらず被告人の主張を十分に裏付けるものとはいえない。
所論は、この点に関し、西鶴間物件の事業計画は、内山が自ら積極的に企画推進した事業であり、仲介を担当した喜久物産のみならず、ハイネス恒産、マンションの建築を請け負う不二建設、設計監理を請け負う内山のユー・アンド・ユーのいずれにとっても大きなスケールメリットがあり、特に内山には、一億三〇〇〇万円という高額な設計監理料をもってユニークな建物を建築し、さらには次の事業にも参画できるという魅力があったから、内山が地主に裏金を支払って事業の成功に邁進したことは十分に推認できる、という。
しかし、一億三〇〇〇万円の設計監理業務報酬を見込んでそれを上回る二億円(所論のようにそのうちの二分の一を最終的に負担するとしても一億円)もの裏金を支払う約束をするということは、たとえ所論のスケールメリットがあるとしても理解し難いところである。
また、被告人の原審及び当審における供述によると、被告人は、ハイネス恒産からのマンション建築工事受注の稟議の過程で、前記ハイネス恒産が支払いを約した保証金一億円のことなども含めて経過の詳細を逐次社内で報告したが、それにもかかわらず、裏金のうちの一億円を含め総額一億八〇〇〇万円もの高額の負担を不二建設側が負うということを、社内で了承を得たり、報告をしたことはなかった、というのであり、このことも極めて奇異なことであり、むしろ、そのような約束がなかったことを窺わせるものといわなければならない。すなわち、不二建設の関与は、マンションの建築を請負うことなのであり、稟議の過程で被告人の担当する不動産部門と共に建築請負部門の関与が大きかったはずであり、それにもかかわらず工費を切り詰めた四四億円余の請負工事に当たり一億八〇〇〇万円を超える高額の裏金支出をしようとする支払約束について、会社として負担を負うべき理由などについての吟味もないまま、もっぱら被告人のみが極めて密やかにこれに関わるということは到底考えられないからである。
所論は、内山に対しては、右のほか渋谷区代々木四丁目物件に関連しての不二建設の一五〇〇万円、群馬県吾妻郡草津町の物件に関する不二建設及び和光の三〇〇〇万円の支払約束があったと主張するのであるが、後者についてはその主張によっても、不二建設及び和光が都合により実行できなかった開発を、喜久物産に替わってやってもらい、喜久物産が分譲リゾートマンションを建設して販売したというのであるから、喜久物産は当然通常の開発、販売利益を得ているものと考えられ、何故不二建設や和光が三〇〇〇万円の負担をしなければならないのか、納得できる説明はなく、その合理的な根拠を欠くものといわざるを得ないのであり、仮にそのような支払いがあったとしても、それはあくまでも被告人の内山に対する好意による個人的な計らいの域を出ないものというべきである。
ところで、被告人の原審及び当審供述によれば、内山との間に権利関係を証明する書面を一切交わすことなく、返還時期等についての取決めもせず、また、支払ったとする後も多額の株式等を預かっていたことになるのであるが、原判決も指摘するとおり、このことは、いかに友人同士とはいえ不自然といわざるを得ず、被告人が不二建設等の会社としての支払いであったというのであればなおさらのことである。
被告人は、原審第二回公判期日まで内山関係の主張をしなかった理由について、内山と不二建設を庇っていたからであると供述する。しかし、七億円近い多額の納税と刑事被告人としての処罰を甘受してまで内山を庇い、また、既に信頼関係が喪失してしまっている会社を庇おうとしたということも不自然であるというほかはない。被告人は、国税当局の調査を受けている過程で、内山から、自分のことを明らかにしても構わないと言われたが、そう言われるとなお言ってはいけないという気持ちが強くなったと供述するのであるが、右の心境も理解し難く、内山が死亡したことを知って急に心境が変わったということもやはり不自然であるというほかはない。
なお、被告人は、被告人の取り扱った不動産取引に、実質的な関与のない喜久物産を関与させて仲介手数料等を得させている。すなわち前期第一の二の1において検討した阿佐ヶ谷南三丁目物件の取引において、被告人は、当該物件について仲介業務を行なっていない喜久物産を関与させ、トースから合計約一億円を超える仲介手数料等を支払わせており、被告人自身これについて、「この物件に関し、喜久物産の内山さんがいろいろ設計のプランを立てたり、建築主を探したりしていたことや大和市のマンションの件で借りがあったこと等から仲介料を支払ってもらったわけです」と供述している(被告人の平成元年四月三日付大蔵事務官に対する質問てん末書)のである。このように、ある物件の取引について被告人が画く絵の中に実質的な関与をしていない関係会社を関与させ、いわゆる従前の借りを返すことが行われているのである(なお、岩屋関係では原審記録一一冊二四二丁)。このように、仮にある取引に関し何らかの借りが生じたとしても、その後の取引において被告人が絵を画くことにより借りを返して行くのが通例であったことが窺えるのである。
以上指摘したところからすると、所論が縷々反論するところにもかかわらず、内山への会社としての支払約束があったという被告人の供述は信用できないとした原判決の判断に誤りがあるとはいえない。
しかしながら他方、原判決も指摘するように、当時野村證券新宿支店に勤務していた原審証人島田守の供述など関係証拠によれば、野村證券新宿支店の被告人名義の口座で行われた株式等の取引には、内山に帰属する資金が混入していた可能性があり、また、昭和六二年三月ころ、同支店に内山名義の口座が開設された際に、被告人から内山に相当額の金が動いた可能性があることを否定できないのである。
原判決は、この点につき、「それらは、被告人と内山との間の本件謝礼金とは関わりのない別個の事情に起因するものと認められ、謝礼金の使途に関する……認定を左右するものではない」と説示するのであるが、前者については、内山に帰属する資金の混入が、内山から別途提供されたものであると認めるに足りる証拠はなく、また、後者については、被告人から内山へ流入した資金が本件謝礼金以外の資金からの流入であると認めるに足りる証拠はない。そして、別個の事情といってもそれを具体的にすることができない以上、被告人と内山との従来の取引上の関係からすれば、何らかの取引に関連して、本件謝礼金の一部が被告人の好意、計らいにより被告人から内山に流れたことを完全に否定することはできないものといわざるを得ない。
4 所論は、岩屋及び三晃設計に対する支払約束について、岩屋に対するものは、昭和五九年一二月ころに約束した不二建設関係の五〇〇〇万円及び同六一年二月ころに約束した和光関係の六九三二万六〇〇〇円ということであるが、これについて被告人は本件謝礼金をもって充てるべく、岩屋に対して支払いを申し出たが、簿外での支払いを断られてそのままになっている、としている。また、三晃設計に対する二〇〇〇万円について、所論は、昭和六三年一〇月に支払約束が具体化したが、その時点では被告人は不二建設を退職してしまっていたので、未払いのままになっている、というのである。
しかしながら、仮に右のような支払約束をしていたとしても、岩屋の件については、簿外での支払いを断られたというのであるから、なおその後も裏金である本件謝礼金での支払いを予定したということには矛盾がある。
また、三晃設計関係については、被告人は退職に当たり会社に趣旨を説明して引き継いだ形跡はなく、したがって、会社においては、三晃設計からの支払請求を拒絶しているのであって(原審証人山口の供述)、もし、被告人が支払約束をしていたとしても、それはやはり、被告人の個人的な計らいにとどまるものとみるべきものである。
いずれにせよ、右は現実に支払われたものではないから、帰属の関係ではもちろん、量刑事情としても特に意味のあるものではない。
四 以上要するに原判決が、本件謝礼金は被告人個人に帰属するものと認定したことに事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
第三量刑不当の主張について
論旨は、要するに、被告人を懲役一年八月及び罰金七〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、特に懲役刑に執行猶予を付さなかった点において重過ぎて不当である、というのである。
本件は総合建設業及び不動産事業を営む中堅企業の不二建設株式会社の取締役として、その不動産事業部門の実権を握っていた被告人が、同社やその関連会社である和光株式会社の不動産取引に関し、仲介等に関与して手数料等を得た二業者から、その業者らの架空経理処理などで支払いを受けた謝礼金収入等につき、これを秘匿して、昭和五九年から六二年までの四年間分の所得税合計三億二六三三万円余りを逋脱したという事案である。
右のとおり、逋脱は四年間にわたって継続して行なわれ、逋脱税額は三億円を超す高額である上、逋脱率も九三・八パーセントから一〇〇パーセントと極めて高率である。
脱税の元となった所得は、被告人が会社における自己の立場を利用して、会社に内密に関係業者から得た謝礼金であって、所得の性質や捻出の方法自体、非難を免れないものである。
所論は、原判決が、「謝礼金を得るのに際して業者が架空の経理処理を行うことを当然の前提とし」と説示し、また、「若松と須藤をして、第三者に対する支払いを仮装する経理処理を行わせ」と説示している点について、被告人がかかる経理処理を「前提とし」あるいは「行わせた」ことはないという。
しかしながら、本件謝礼金は被告人にとって裏金の性質を有するのであるから、これを捻出するに当たり、須藤や若松がトースやオーシャンファームの正規の経理処理をしているということは到底あり得ないのであり、何らかの「架空経理処理を前提にして」簿外資金を捻出した上被告人に支払われたものであることを被告人自身十分に知悉していたことが明らかである。また、たしかに、被告人は、トースやオーシャンファームがどのようなB勘屋を介在させ、どのような経理処理をして個々の謝礼金を捻出したのかについての具体的な経緯まで把握しておらず、もちろん捻出操作に直接関与しているわけではなかったけれども、被告人は当然のこととして須藤や若松から謝礼金を受け取っているのであるから(被告人は若松に対して謝礼金を要求している。若松の平成二年二月六日付(謄本)、九日付検察官に対する各供述調査)、被告人において、須藤や若松に「架空経理処理を行なわせた」と評価して何ら妨げはないものといえる。
また、このような本件謝礼金の性質上、被告人は、当初から申告を全く予定していなかったことが明らかであり、四年間にわたって逋脱を続け、このうち、原判示第四の昭和六二年分に関しては、被告人が国税当局の査察を受けた約一か月後の犯行なのであって、このような経緯には被告人の納税意識の希薄さが顕著に現れているといわざるを得ない。昭和六二年分の申告に関し、所論は、須藤から「自分も言わないから、言ってはならない」と指示されていたからであると主張するけれども、責任を他に転嫁するものであって到底同情に値するものではない。
本件謝礼金合計五億〇五五五万円の使途、保管の明細は明らかにならない。もちろん、所論指摘のように不二建設や和光の会社の取引に関連して使用した部分があるにしても、純粋に被告人の個人的な用途にも使用している。また、被告人は、本件謝礼金のうちのかなりの部分を株式等の取引に充て、信用取引なども行っていたのであるが、如何に好景気で株価の上昇が見込まれていた時期であったにしても、株式等の取引はやはり投機的な側面を否定することが出来ず、資金の単なる保管、運用の域を越えて、被告人自身が自由にした使途そのものと見るべきものである。
ところで、所論は、被告人は、本件謝礼金を会社のために使う予定であり、また、一部を現実に使ったのであるから、このことを量刑上被告人に有利に重視すべきであると主張するけれども、租税逋脱犯の罪質からすると、非難が加えられるのは、蓄財の使途、目的に対してではなく、蓄財に現れた担税力に相応する納税を怠ったことに対してであるから、たとえ所論のように被告人としては会社のために使うという気持が強かったとしても、そのことをもって一般的な情状以上に量刑上特に有利な事情とみることは相当ではない。
以上の諸点からすると、本件の犯情は良くなく、被告人の刑事責任は重いものというほかはない。
そうすると、被告人は、本件に関連する全ての税を早い時期に完納したこと、被告人は、不二建設に長年勤務し、会社の発展に大きな貢献をしてきたところ、本件により懲戒免職となってそれまでの地位を一挙に失う結果となり、この面で、一応社会的な制裁を受けているといえること、被告人の服役が現在経営している会社の運営や家族の生活に大きな影響を及ぼすこと、その他被告人の健康状態など所論のうち首肯し得る被告人のために酌むことができる一切の事情を十分に考慮しても、近時のこの種事犯に対する量刑の実情からすれば、懲役刑について執行を猶予するのは相当ではなく、被告人を懲役一年八月及び罰金七〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、その刑期及び罰金額をも含めてやむを得ないところであり、これが重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 森眞樹 裁判官 中野久利)
平成四年(う)第五七三号
○控訴趣意書
被告人 吉住隆弘
右被告人に対する所得税法違反被告事件の控訴趣意は左記のとおりである。
平成四年八月三一日
主任弁護人 宮原守男
弁護人 若井英樹
弁護人 小松初男
同 新井弘二
東京高等裁判所第一刑事部 御中
目次
序論 原判決の基本的誤り・・・・・・三一八九
第一 被告人が須藤から受領した謝礼金額に関する事実誤認・・・・・・三一九三
第二 謝礼金の帰属に関する実態誤認・・・・・・三二〇一
一 被告人が謝礼金を受領するに至った経緯について・・・・・・三二〇二
二 不二建設における簿外資金の捻出・支出の状況と謝礼金授受の状況について・・・・・・三二一二
三 本件謝礼金の保管状況について・・・・・・三二一三
四 本件謝礼金の帰属に関する被告人の認識について・・・・・・三二一七
五 本件謝礼金の使途について・・・・・・三二二〇
1 内山勝美に対する支払いについて・・・・・・三二二〇
2 株式会社岩屋、株式会社三晃設計への支払約束について・・・・・・三二三三
第三 原判決の量刑不当・・・・・・三二三六
一 脱税額等について・・・・・・三二三七
二 所得の性格について・・・・・・三二三七
三 計画性について・・・・・・三二三八
四 動機について・・・・・・三二四〇
五 判示第四の事実について・・・・・・三二四二
六 いわゆる口裏合わせについて・・・・・・三二四二
七 主張及び供述の変更について・・・・・・三二四三
八 被告人に有利な情状について・・・・・・三二四四
序論 原判決の基本的な誤り
原判決は、本件公訴事実につき、被告人がトースの代表取締役須藤功から受領した謝礼金のうち高田三丁目物件に関する九一八三万円は昭和六二年一月に一括して授受されたと認定しつつ、検察官がその時期に授受された謝礼金は七〇〇〇万円であると主張していることを理由に同物件に関する謝礼金の額を七〇〇〇万円と認定し、また、被告人が四九七六万四九四七円の株式売買益を得たとの事実は認定できないとしたほかは、検察官の主張どおりの謝礼金の授受を認め、これらの謝礼金は被告人個人に帰属するものと認定し、被告人を所得税法違反により懲役一年八月及び罰金七〇〇〇万円に処した。
被告人が不二建設株式会社及び和光株式会社の不動産取引に関して関係業者から受領した謝礼金について、その額及び帰属先には後述のような問題があるもの、これらの謝礼金に関して国に納付すべき相当額の税金を納付しなかったという脱税行為に出たことは事実であり、被告人も深く反省しているところである。
しかしながら、原判決の事実認定及び量刑理由には、以下に詳述するような承服し難い事実誤認があり、そのような誤りのある事実認定及び量刑理由によって被告人を懲役一年八月の実刑に処した原判決は破棄を免れないものと思料し、控訴に及んだ次第である。
すなわち、原判決は、本件の事実認定及び量刑の前提事実の評価において二つの基本的な誤りを犯している。第一は、被告人が第一回公判において事実を全面的に認めた後、第二回公判以後事実を争い始めたことをもって、被告人の供述の信用性及び被告人の情状について、著しく否定的に評価していることである。第二は、被告人の供述が信用できないことを前提として被告人が謝礼金収入の相当な部分を会社のために使用した事実を否定し、被告人の行為が自己の自由にできる資産を増加させようという利己的なものであるとしたことである。
右二点は、本件事案の特質及び被告人に対する科刑の相当性を判断するうえにおいて極めて重要な事柄であり、かつ、この点について原判決が誤りを犯していることは原判決の判示自体からも、十分に窺うことができるものである。
一 原判決は、「本件裁判の第一回公判において、被告人は本件起訴事実を全面的に認め、弁護人も検察官申請のすべての証拠に同意したが、被告人は、その後保釈が許可されると否認に転じ、本件謝礼金の所得の帰属を争うに至った。」(判決書二二丁)、「公判においては、再度否認に転じて理のない弁解をし、罪を免れるためなりふりかまわないよう態度を示している。」(判決書三三丁裏)旨判示し、被告人の公判廷における供述が信用できない、あるいは被告人が自己の行為を反省していないことの根拠とした。
しかしながら、被告人の主張及び供述の変更が、仮に非難されるべきものとしても、それは事実を糊塗していた変更以前の訴訟態度であり、変更後の主張及び供述は、ひたすら裁判所に真実を訴えようとしたものである(別添資料1、第一回公判までの弁護人安田道夫の上申書)。
原判決は、前記のとおり、被告人の主張及び供述の変更を極めて強い調子で非難する。しかし一方、本件起訴事実のうち、被告人が昭和六一年一二月に株式会社トースの代表取締役須藤功から二一八三万円を受領した事実は認められないとし(判決書一五丁表)、また被告人が昭和六一年中に株式売買益四九七六万四九四七円を得た事実も認められないとした(判決書三一丁裏ないし三二丁裏)。被告人の変更後の主張及び供述が真実を訴えるものであったからこそ、一部とはいえ、原判決でさえ、被告人の主張及び供述に理があることを認めているのである。原判決が被告人の変更後の供述は信用できないとしながら、これらの点について被告人の主張を容認したことは自己矛盾である。また、原判決は、被告人が主張及び供述を変更したことを強く非難し、それ故に変更後の供述は信用できないとするが、そのような判断は、被告人が主張及び供述を変更するに至った事情について深く検討することなく、変更したこと自体を許し難い行為であるとする一面的な見方にとらわれたものと言わざるを得ない。
そして、そのことが、次に述べる重要な事実の誤認に結び付いたのである。
二 原判決は、不二建設株式会社及び和光株式会社における不動産取引について実権を握る被告人が、業務の遂行のため、株式会社ユー・アンド・ユー及び喜久物産株式会社の実質的経営者内山勝美に対し、簿外で合計二億二八〇〇万円を支払う旨約束し、昭和六一年六月から翌六二年九月まで、本件謝礼金のうちの一億七八〇〇万円を、内山の分として野村証券新宿支店の被告人名義の口座で株式等に投資して運用し、さらに同六二年二月頃、五〇〇〇万円を内山に支払い、内山は、これを自己名義で開設した口座で株式に投資した旨の弁護人の主張について次のとおり判示した。
「野村証券新宿支店の被告人名義の口座で行われた株式等の取引には、内山の分が混入していた可能性、及び内山名義の口座開設時に被告人から内山へ何らかの金銭が動いた可能性がある。
しかし、先に判断したとおり、被告人が内山に対して二億二八〇〇万円を支払う約束をした旨の被告人の公判廷供述は信用できないので、右に述べた内山分の混入と内山への金銭の動きが仮に事実存在したとしても、それらは、被告人と内山との間の本件謝礼金とは関わりのない別個の事情に起因するものと認められ、謝礼金の使途に関する前記認定を左右するものではない。」(判決書三一丁表)。
しかしながら、原判決は、右別個の事情が何であるかについては全く説明しない。原判決は、事実に則して被告人の供述を評価せず、被告人の供述の信用性を先ず否定してかかったため、説明できない事実が出てきてしまったものと考えられる。後に詳述するとおり、被告人の供述は関連証拠と照らし合わせても極めて自然に理解できるところであり、二億二八〇〇万円の支払いの事実は弁護人の主張のとおり認められるべきである。
三 右のとおり、原判決の基本的な誤りを指摘したうえで、弁護人は控訴審において次の事実を強調したい。すなわち、前記内山への二億二八〇〇万円の支払いの事実は、被告人の本件一連の行為が原判決判示のごとく利己的な行為であったのではなく、会社のための行為という側面を強く有することを示していることである。そして原判決も認めるとおり、被告人は不二建設及び和光の不動産取引について実権を把握していたのである。この事実は本件謝礼金が不二建設及び和光に帰属することを推認させるのみならず、仮に被告人に帰属するものとしても、被告人の行為は実質的には会社の行為であると見得るものであり、原判決のいうような「自己の自由にできる資産を増加させるという利己的なもの」ではなかったという点において、被告人の情状に大きく影響する事実である。そして被告人の行為を会社のための行為であるとして法人税法違反としてとらえるならば税額の計算は次のとおりである。被告人が昭和五九年から同六二年にかけて取得した謝礼金収入は、原判決の認定によっても計五億〇五五五万円であり、これから内山に支払った二億二八〇〇万円を控除すると通算所得は二億七七五五万円となる。これに当時の法人税率の最高限度四二パーセントを掛けると法人税額は最高でも一億一六五七万一〇〇〇円である。
原判決は、本件被告人の行為を利己的な所得税法違反であるとし、脱税額も三億二六三三万円余りと認定して「悪質な事犯」と評価しているが、実質的には会社の行為と見得る本件行為の実態に照らし、これを法人税法違反としてとらえるならば、その脱税額は一億一六五七万円にとどまるのである。
右の視点を基本として、以下に、受領した謝礼金額についての誤認を含む原判決の事実誤認及び量刑の不当について詳述する次第である。
第一 被告人が須藤から受領した謝礼金額に関する事実誤認
原審において弁護人及び被告人は、被告人が株式会社トースの代表取締役須藤功(以下、須藤という。)から受領した謝礼金のうち、高田三丁目物件については、検察官主張の二一八三万円と七〇〇〇万円の合計九一八三万円ではなく四五〇〇万円であり、南砂四丁目・深川二丁目物件については検察官主張の一八八四万円ではなく多くとも八〇〇万円、町田市鶴間物件については検察官主張の三四二八万円ではなく一二〇〇万円であると主張した。
これに対し、原判決は、右主張を排斥して高田三丁目物件につき九一八三万円、南砂四丁目・深川二丁目物件については一八八四万円、町田市鶴間物件については三四二八万円を各受領した旨認定した。そして高田三丁目物件については、昭和六二年一月に一括して九一八三万円を受け取っている旨認定したうえ、「検察官は昭和六二年一月には七〇〇〇万円を受け取っているに過ぎないと主張するので、右時期における被告人の受領金額は七〇〇〇万円の限度で認定するにとどめる。」と判示した(判決書一五丁表)。
原判決がかかる認定の主たる根拠としているものは、国税局が須藤から任意提出を受けたというメモ(平成二年東地領第三一一号符四号)である。すなわち、原判決はこの点につき、「メモの記載内容は十分信用できるといえるのであって、その記載内容に沿った金銭の授受が行われたものと推認でき、特に支払い金額については、記載内容を疑わせるような事情が存しない以上、メモに記載された金額の金銭が支払われたものと認められる。」(判決書九丁裏)、「高田三丁目物件等四物件に関する須藤の計算メモの記載を疑うべき事情は存しないので、同四物件に関してもそのメモに記載あるとおりの金額が渡されたものと認められる。」と判示する(判決書一五丁表)。
しかしながら以下に述べるとおり、右メモの記載内容には、十分にその信用性を疑わしめる事情があり、これに基く金額の認定は誤りである。
一 第一に、高田三丁目物件に関する計算メモに九一八三万円の授受がなされた旨の記載があり、原判決は、これに拠って、「九一八三万円は、須藤から被告人に昭和六二年一月に一度に渡されたものと認めるのが相当である。」と判示した(判決書一一丁裏)。
しかしながら、右九一八三万円については、右メモの作成者である須藤自身が、捜査段階で検察官に対し、昭和六一年一二月二七日頃二一八三万円を、同六二年一月一四日頃七〇〇〇万円と二度に分割して支払った旨供述し(検甲第六号謝礼金収入調査書・証拠書類群第二分冊二二丁)、また、原審における二回目の証言において、昭和六一年一二月二〇日頃二〇〇〇万円余りを、同六二年一月に七〇〇〇万円を分割して支払った旨証言している(第一二分冊公判調書群四八二丁ないし四八五丁)。原判決が右メモの信用性をいかに強調しようとも、作成者である須藤自身がその記載内容を信用せず、これと異なる趣旨の供述及び証言をしているのである。この一事のみをもってしても右記載内容が信用できないことは明らかである。
二 第二に、被告人が須藤よりも多くの金額を得ることはあり得ないということである。
すなわち、メモによれば、被告人が須藤から受領した謝礼金の金額は、高田三丁目物件については九一八三万円、南砂四丁目・深川二丁目物件では一八八四万円、町田市鶴間物件では三四二八万円ということである。そして、須藤の取り分は、高田三丁目物件については六一二一万円、南砂四丁目・深川二丁目物件については零円、町田市鶴間物件については零円ということになる。
かかる配分の結果は、以下に述べるとおり到底あり得ないものである。
1 被告人は、昭和五九年二月から同六一年八月まで、一一件の不動産売買に関し、オーシャンファーム株式会社の代表取締役若松俊男(以下、若松という。)から謝礼金を受け取っていた。金額について、若松はオーシャンファームが受け取る仲介手数料の三分の一を目安に被告人に支払うことにした旨供述し(若松の検察官に対する平成二年二月六日付供述調書・証拠書類群第三分冊八八丁第九項)、現実には、右三分の一以下の金額を被告人に支払っていた(検甲第五号謝礼金収入調査書-以下「調査書」という-証拠書類群第二分冊二六丁、二七丁、若松の検察官に対する平成二年二月六日、同九日、同一〇日、同一四日、同一六日付各供述調書・証拠書類群第三分冊八一丁ないし二八九丁)。
2 被告人は、昭和六一年八月から同六二年五月まで、九件の不動産売買に関し、須藤から謝礼金を受け取った。前記高田三丁目物件以下の四件を除く五件の取引においては、須藤から被告人に支払われた金額は、次のとおり、須藤の取り分の三分の一以下になっていた。
(一) 左門町物件の取引について、トースに支払われた仲介手数料の額は二四四五万三〇〇〇円であり、その三分の一から、いわゆるB勘屋に支払う手数料二五パーセントを控除した六一一万三二五〇円が、被告人の取り分であった。その他に須藤が取得した転売利益の一部から二二六四万二五〇〇円が被告人に支払われた。須藤の転売利益額は、本件全証拠によっても定かではないが、検甲第五号の調査書六枚目(証拠書類群第二分冊二七丁)には西武建設信用販売に対して架空仲介手数料として七九一〇万円の支払いがなされた旨の記載がある。このことからみると、須藤が右金額以上の転売利益を得ていたことが推測され、結局被告人の取り分は仲介手数料及び転売利益を通じて須藤の取り分の三分の一以下であったといえるのである。
(二) 阿佐ヶ谷南物件の取引について、トースは三〇億七八〇二万円で買い受け、同日、三四億九七七五万円でこれを転売し、四億一九五五万円の転売利益を取得し、喜久物産に一億〇四九三万〇五〇〇円の仲介手数料を支払った(被告人の検察官に対する平成二年二月一三日付供述調書・証拠書類群第四分冊三六三丁以下添付資料四の三)。須藤は、残りの三億一四六一万九五〇〇円のうちから日本住地に対し架空手数料として一億〇四九三万二五〇〇円を支払ったことにして、そのうち金七八七二万円を被告人に支払った(前記調査書五枚目・証拠書類群第二分冊二六丁)。日本住地に対するB勘屋手数料の支払いを考慮しても、須藤には被告人に支払った金額の倍以上が残ったと見るべきである。
なお、本件に関する須藤の自筆による計算メモにはトース入金分として一億四九三万二五〇〇円、そのうちB勘屋手数料二五パーセントを控除した七八七二万円が、被告人の取り分である旨の記載がある。しかしながら、前記取引の実態からすれば、トースは本件取引において転売利益として四億円以上を得たのであって、トース入金分一億〇四九三万二五〇〇円という記載に沿う事実は全く存在しない。須藤自筆のメモが取引の実態に反する内容を記載したものであることの一例である。
(三) 中野物件の取引については、和光からトースに仲介手数料として三七八〇万円が支払われ、その三分の一にあたる一二六〇万円からB勘屋手数料二五パーセントを控除した九四五万円が被告人の取り分である(前記調査書六枚目・証拠書類群第二分冊二七丁)。
(四) 神田及び早稲田の取引については、和光からトースに支払われた合計一億一七〇〇万円の仲介手数料のうちから、二二五〇万円が被告人に支払われている(検甲第六号証調査書・証拠書類群第二分冊三九、四四、四五丁)。被告人への支払い金額及びB勘屋の秋田不動産に支払われた費用を除いてもトースは七五〇〇万円であり、被告人の取り分の三倍以上の金額を取得している。
3 これに対して、高田三丁目以下四物件の取引について、若松との一一件の取引あるいは須藤との右以外の五件の取引における配分割合を変えて、須藤の取り分を被告人より少なくあるいは全く無しとするような事情は、存在しなかったのである。
(一) 高田三丁目、南砂四丁目、深川二丁目の物件は、いずれも昭和六一年一二月一八日、不二建設又は和光の側からオクトへ売却されたもので、須藤が被告人に持ち込んで取引を成立させている。トースは単に取引に名前を連ねたというのではなく実質的に仲介の業務をしたのである(安島正祥の質問顛末書・証拠書類群第八分冊一〇四一丁、被告人第五回供述調書・公判調書群第一〇分冊九七丁、一〇三丁、一〇六丁)。
当時、不二建設又は和光は、仲介業者に対し、常に、規定の報酬を支払うことにしていたのであり(山口慎一郎質問顛末書・証拠書類群第八分冊一〇一七丁の問七、須藤第四回尋問調書・公判調書群第一〇分冊四二丁)、右三件の取引についてもこれを減額すべき事情はなかった。ところが須藤のメモによると、高田三丁目部件については被告人の取り分は須藤の取り分の倍になり、南砂四丁目・深川二丁目物件については、被告人の取り分は一八八四万円であるのに対し、須藤の取り分は全く無く、高々数百万円の転売利益を得たにすぎないという不合理な結果になるのである。
(二) 鶴間の物件は、昭和六一年一二月一八日、不二建設がオクトから買い受け、同六二年五月一五日、宏池企業を経由して大王製紙に売却したものである。いずれもトースが仲介したが、手数料については、売却時に支払うという理由で買受に際しては支払いがなされなかった(被告人の検察官に対する平成二年二月一三日付供述調書・証拠書類群第四分冊三六二丁以下添付資料九の一、被告人第五回供述調書・公判調書群第一〇分冊一一ないし一一四丁)。
ところが須藤のメモによれば売却に際しても須藤の取り分は全く無いということであり、理解し難い内容になっているのである。
4 この点について、原判決は、まず南砂四丁目・深川二丁目物件ではトースは「転売益を得ており」、町田市鶴間物件では被告人への謝礼金を裏金化する過程で「相応の利得を獲得している」ことが認められ、トースが何等利益を得ていないわけではないなどと判示する(判決書一三丁裏)。
しかしながら、須藤が述べているように、南砂四丁目・深川二丁目物件の取引での転売益は「税金を払う分」程度のものであり(須藤第一回目尋問調書・公判調書群第一〇分冊五八丁表)、税金を払えばなにも残らない程の微々たる額であった。また、町田市鶴間物件に至っては、須藤は、買受けに際し仲介手数料が貰えなかったことから、被告人に「何とかしてくれ。」と苦情を言ってきていたのであり(右同五九丁裏、被告人第五回供述調書・公判調書群第一〇分冊一一五丁裏)、須藤において「相応の利益を獲得している。」などとの認識を有していなかったこと明らかである。
かかる状況にあって、須藤が被告人に対して本件メモに記載するような金額の謝礼金を支払うことなど、到底ありえない事柄である。
5 また、原判決は、「なるほど高田三丁目等四物件に関してはトースの取り分が被告人の取り分より少ないとしても、須藤の経営する零細な不動産業者であるトースは、業界の中堅業者である不二建設等の行う不動産取引に関与させてもらうことによって急激に売り上げを伸ばしているのであって、――被告人との力関係からしてもトースの須藤が個々の取引毎の自己の利益の多寡にこだわらなかったとしても不自然とは言えない。」「取引によっては被告人への支払い分よりトースが多くの利益を得ることもあったので、一方では須藤が自己の取り分よりも被告人に多くを渡すことがあったと考えることも難しくなく、弁護人の言うように不自然・不合理とは言えない。」と判示する(判決書一三丁裏、一四丁表)。
しかしながら、現実に須藤は自己に利益がなかった場合には被告人に苦情を言っているのである。個々の取引毎の利益の多寡にこだわらないなどということはなかったのであり、原判決はその前提たる認識自体に誤りがある。
しかも、不動産業者としてのトース本来の業務は仲介業により営業上の利益を得る仕事をしていたのである。そして高田三丁目、南砂四丁目・深川二丁目の各物件は須藤の側からの持込み物件であり、町田市鶴間の物件についても現実に仲介業務を行っているのである。このようにトースが本来の業務を行っている取引について、須藤がその利益にこだわらないなどということは到底ありえない。
さらに言うならば、不二建設との取引に関与することによって多くの利益を得ていたのは須藤のみならず若松も同様である。この点若松は、「私たち業者にしてみれば初穂や不二建設に売買の当事者になってもらってこそ食って行けるし、片桐や吉住にバックリベートを渡さないと今後取引に加えてもらえないという弱みもありました。」と述べているのである(平成二年二月六日付検察官に対する供述調書・証拠書類群第三分冊八六丁)。しかしながら、若松は常に被告人への謝礼金について、オーシャンファームが受け取る仲介手数料の三分の一を目安にするという基準を変えていないのは前述のとおりである。したがって、仮に原判決の言うように須藤と「被告人との力関係」なるものが存在したとしても、そのことを根拠にして、一人須藤のみが被告人に対して仲介手数料の三分の一という基準をはるかに超える取り分を与えても「なんら不自然とはいえない」などと認定し得る理由はないのである。
以上によれば、かかる取引において、須藤が自己の取り分よりも被告人に多くを渡したとしても不自然・不合理ではない、とする原判決の認定は、経験則に反すると言わざるをえない。
6 謝礼金の金額について争いがない他の五件のうち、阿佐ヶ谷南物件を除く四件についての計算メモは、トースの事務員田辺美那子によって書かれたが、高田三丁目物件以下四件についてのメモは、いずれも須藤の自筆によるものである。そして、高田三丁目物件のメモについては前記一のとおり、作成者である須藤自身がその記載内容に反する供述及び証言をし、また、謝礼金額について争いがないとはいえ阿佐ヶ谷南物件の須藤自筆のメモは前記2(二)のとおり記載自体真実を反映していない。
右各メモは平成元年五月一一日に初めて国税局に領置されたものであり、須藤自身がそれまでの間に容易に作成又は変更し得るものであった(いずれも事務員の筆跡でなく、須藤の筆跡であることに留意すべきである)。またそうすることについて、被告人にできるだけ多くの金額を支払い、あるいはトースの入金を減らすことにしてトースの所得を減額するという動機もあったのである。
この点原判決は、「須藤がトースの所持金を偽るため被告人への支払金額を過大に記載あるいは変更したというのであれば、昭和六三年一一月頃トースが脱税の疑いで査察を受けた際、計算メモを国税局に提出して被告人への謝礼金の支払いを明らかにすることが考えられる。」と判示する(判決書一四丁裏)。
しかしながら、右判示は納得することができない。須藤にとっては、トースの脱税についての責任が確定するまでは常にトースの所得を減らすことが、自己の利益に資するからである。
本件メモが国税局による査察段階で発見されていたのであればまだしも、それよりはるか後の時期である平成元年五月一一日になって、突然須藤自らの手によって、自己に有利な書面が国税局に提出されているという不自然な経緯に着目し、その間における新たなメモの作成や記載内容の変更が行われた可能性が多分に存することを指摘しておきたい。
三 以上のとおり、被告人が須藤から受け取った謝礼金の金額について、原判決には事実の誤認がある。
実際の額は、仲介手数料相当額の三分の一からB勘屋の手数料相当額を引いた額であり、高田三丁目物件については四五〇〇万円、南砂四丁目・深川二丁目物件については多くとも八〇〇万円、町田市鶴間物件については一二〇〇万円合計六五〇〇万円であり(被告人第五回供述調書・公判調書群第一〇分冊一〇二丁裏、一〇九丁裏、一一七丁表)、右四件について原判決が認定した合計一億二三一二万円よりも五八一二万円少ないものである。
したがって、たとえ原判決のごとく、本件謝礼金が被告人の所得であるとする見解に拠ったとしても、昭和六二年度の被告人の「謝礼金収入」は原判決が認定する一億四五六二万円(判決書別紙7修正損益計算書)ではなく、これから五八一二万円を控除した八七五〇万円である。
ちなみに、右五八一二万円に関わる所得税額は、当時の所得税率の最高である六〇パーセントをこれに乗じ、三四八七万三〇〇〇円である。
第二 謝礼金の帰属に関する事実誤認
原判決は、本件謝礼金の帰属につき
(一) 被告人が謝礼金を受領するに至った経緯
(二) 不二建設における簿外資金の捻出・支出の状況
(三) 本件謝礼金の保管状況
(四) 本件謝礼金の帰属に関する被告人の認識
(五) 本件謝礼金の使途等
の五点について検討を加え、「本件謝礼金は、被告人に帰属する所得であると認定できる。」とした。
しかしながら、これらの点に関する原判決の認定には、以下に述べるような事実誤認がある。
一 被告人が謝礼金を受領するに至った経緯について
1 原判決は、被告人を「不二建設や和光及び関連会社の行う不動産取引の実質的な最高権限者とみなされていた。」とし(判決書一六丁裏、一七丁表)、被告人がオーシャンファームの若松及びトースの須藤から謝礼金を受領するに至った経緯について判示した上、「このように若松や須藤が被告人に謝礼金を渡したのは、……被告人個人に渡されたものと認められる。」と判示している(判決書一七丁裏)。しかし、いわゆるバックリベートが取引当事者である企業の担当者に交付される場合が多いことはむしろ当然のことであるが、そのこととバックリベートの帰属先が当該担当者個人であるかどうかは別個の問題である。謝礼金の授受自体が担当者間で行われたからといって、その謝礼金が常に担当者個人に帰属するとはいえない。交付される謝礼金は、それが裏金であっても交付側企業の所有に属する金員であり、交付側企業の担当者個人のものでないことは論ずるまでもない。そして、そのことは、謝礼金の受領者側についても当てはまることであり、当該謝礼金が企業間の業務に関して授受されることからすれば、担当者個人に対する謝礼と認めるべき特段の事情がないかぎり、その謝礼金は受領者側企業に帰属するものと見るべきである。
原判決のこの点に関する認定は、その判示自体不明確であるばかりでなく、本件謝礼金が被告人個人に対する謝礼として贈与されたものと認めるに足りる明確な証拠がないのに、本件謝礼金は被告人に帰属するものとして授受されたと認定したものであり、その点において事実の誤認がある。
2 右事実関係について、詳述すると以下のとおりである。
(一) 被告人は、不二建設に入社以来、異例の速さで昇進を続け、昭和五五年(四一歳)に取締役営業部長、同五七年五月(四三歳)に常務取締役、同六一年一二月(四七歳)には専務取締役に、それぞれ就任した。
また、和光においては、昭和五七年五月に常務取締役となり、同六一年四月一日には代表取締役に就任するまでに至った。
被告人がこのように不二建設、和光両会社(以下両社を合わせて「会社」という。)において確固たる地歩を築くのと時期を同じくして、会社の業績も飛躍的に向上していった。すなわち、昭和五七、八年における不二建設の売上は、年間一〇〇億円から二〇〇億円程度であったところが、以後年々増加し、特に昭和六〇年ころからは不動産取引による売上が急増して売上の内の相当部分を占めるようになり、昭和六二年頃には不二建設が約七百数十億円、和光が二八〇億円の総売上を記録している(第五回公判調書中被告人の供述部分・公判調書群第一〇分冊一二〇丁、一二一丁、第八回公判調書中の証人山口の供述部分・公判調書群第一一分冊三〇三丁)。
このように、不二建設及び和光が業績を急速に伸ばして行く過程にあって、被告人は両会社及びその関連会社が行う不動産取引の責任者として実権を握り、物件の選定や契約内容を始めその他全般が被告人の意思で決定され、内外ともに、不動産取引についての実質的な最高権限者とみなされていたのである。
以上の事実については、原判決も正しく認定するところである(判決書一六丁裏、一七丁表)。
被告人は「昭和五八年頃に会社の業態があまり良くない時期がございました。――その時期に山口(現社長)と話し合いまして、山口社長のほうは財界とのお付き合い、その他ロータリーの会合の付き合い、その方に顔を向けようと、私も同じようなことをやりたかったし、やって行こうとしたのですが、山口がたっての願いで、ともかく利益のほうを確保するほうに回ってくれという職務分担をそこで決めました。」「五八年春頃であったと思います。」と供述している(第五回公判調書中被告人の供述部分・公判調書群第一〇分冊一一九丁、一二〇丁)。
また、不二建設の社長である山口慎一郎も、大蔵事務官の質問に対して「吉住隆弘の不二建設(株)での業務は、五七年五月常務取締役になってから、営業部・事業部・不動産部の全般を統括しておりました。――不二建設における不動産取引の大部分は吉住隆弘がみておりました。」と述べ、被告人が不二建設の不動産取引の大部分を担当していたこと、及び業務部門の統括責任者であったことを認める供述をしている(昭和六三年六月二一日付同人質問顛末書・証拠書類群第八分冊一〇一六丁、一〇一七丁)。
(二) そして、被告人が右不二建設及び和光の不動産取引に関連して謝礼金を受領していたのは、同人が、かかる実質的な決定権限を握った後の時期である。
すなわち、各取引の概要及び起訴対象となった謝礼金の金額(ただし一部の金額については弁護人の主張による。)と受領時期は、以下のとおりである(被告人の検察官に対する供述調書・証拠書類群第四分冊二三八の三六三丁~五五二丁、第五分冊二三八の五五三丁~七三九丁、第五回公判調書中被告人の供述部分・証拠書類群第一〇分冊二三九の八九丁~一一七丁)。
(大洋興発・オーシャンファーム関係)
<1> 阿佐ヶ谷南三丁目物件取引
初穂-不二建設-トース、と転売
不二建設が大洋興発に仲介手数料三%を支払った
昭和五九年二月~三月に、八〇〇万円
<2> 南青山二丁目物件取引
(有)玉栄-不二建設-マスミ工芸、と転売
不二建設が大洋興発に仲介手数料三%を支払った
昭和五九年二月~三月に、四〇〇万円
<3> 神宮前物件取引
不二建設とモンド商事が共同所有していた土地(A)を、初穂に売却
不二建設が、隣地(B)を橋本照子から岩屋を通じて買収
不二建設・初穂がA・Bを北村東信(株)に売却
不二建設がオーシャンファームに手数料四%を支払った(うち一%は販売代理手数料として)
昭和六〇年九月頃に、四〇〇〇万円
<4> 宇田川町物件取引(リベート合計三二〇〇万円)
初穂-ユニオンジャパン-日本協同企画、と転売
和光がユニオンジャパンに代金を提供
不二建設が、ユニオンジャパンの売却代理人として六%の手数料を取得し、うち三%をオーシャンファームに手数料として支払った
昭和六〇年一〇月に一五〇〇万円、一二月に一七〇〇万円
<5> 広尾三丁目物件取引
トーカンリフォーム-宏地企業-富士建地所、と転売
不二建設が、宏地企業と匿名組合契約を結び、宏地企業を当事者とした
宏地企業(実際は不二建設)がオーシャンファームに仲介手数料三%を支払った
昭和六〇年一一月頃に、四〇〇〇万円
<6> 神泉町物件取引(リベート合計五〇〇〇万円)
不二建設が購入し、日本興発に転売
不二建設がオーシャンファームに売却代理手数料六%を支払った
昭和六〇年一一月頃に二五〇〇万円、六一年七~八月に二五〇〇万円
<7> 円山町物件
水上土地建物-シティプロジェクト-初穂、と転売
不二建設がシティプロジェクトに資金を提供
シティプロジェクトはオーシャンファームに売却代理手数料六%を支払い、オーシャンファームは、うち二分の一を和光のために支払った
昭和六一年六月頃に、一二〇〇万円
<8> 西蒲田物件
不二建設が地産トーカンから購入
不二建設がオーシャンファームに仲介手数料として三%を支払った
昭和六一年六月頃に、一〇〇〇万円
<9> 平河町物件
実相不動産-不二建設-ハイネスと転売
不二建設が、オーシャンファームに売却代理手数料として六%支払った
昭和六一年二月~三月頃に、七〇〇万円
<10> 本郷五丁目物件(昭和六一年一月~二月)
都市環境開発-不二建設-地産トーカン、と転売
不二建設は、西北実業に仲介手数料として三%支払った
昭和六一年七~八月頃に、高輪四丁目分と併せて四〇〇〇万円
<11> 高輪四丁目物件(昭和六一年二月~一〇月)
三井不動産販売-不二建設-宏地企業、と転売
不二建設は、西北実業に仲介手数料として三%支払った
(トース関係)
<1> 新宿区左門町物件
和光が長興から購入して転売
和光がトースに仲介手数料三%支払
昭和六一年八月頃に、二八七六万円
<2> 阿佐ヶ谷南三丁目物件
初穂-不二建設-トースーオクト、と転売
昭和六一年一〇月頃に、七八七二万円
<3> 中野四丁目物件
和光が岩屋から購入
和光がトースに仲介手数料三%支払
昭和六一年一一月頃に、九四五万円
<4> 豊島区高田三丁目物件
不二建設・モンド商事-宏地企業-オクト、と転売
不二建設・モンド商事がトースに売却代理手数料として六%を支払い、内二分の一がトースから和光に支払われた
昭和六二年一月頃に、四五〇〇万円(但し原判決認定額は、九一八三万円)
<5> 南砂四丁目物件
不二建設-トース-オクト、と転売
不二建設がシティプロジェクトに売却代理手数料六%を支払った
昭和六二年三月頃に、深川三丁目物件と併せて約八〇〇万円(但し原判決認定額は、一八八四万円)
<6> 深川二丁目物件
和光がトースに売却
和光がシティプロジェクトに売却代理手数料六%を支払った
<7> 町田市鶴間物件
不二建設-宏地企業-大王製紙、と転売
宏地企業がトースに仲介手数料三%を支払った
昭和六二年五月頃に、約一二〇〇万円(但し原判決認定額は、三四二八万円)
<8> 神田須田町物件
和光の土地をオクトに売却
和光がトースに売却代理手数料六%を支払った
昭和六二年一〇月頃に、早稲田鶴巻町物件と併せて二二五〇万円
<9> 早稲田鶴巻町物件
和光の土地をオクトに売却
和光がトースに売却代理手数料六%を支払った
本件各取引及び謝礼金授受の時期は、以上のとおりであり、前記不二建設及び和光における被告人の地位権限に照らせば、被告人は自らの判断において、本件謝礼金を会社のために取得しうる地位にあったというべきである。
特に、和光においては、昭和六一年四月からは被告人が代表取締役社長となり、前社長の山口は取締役会長に退いている。今後は新社長である被告人に存分に代表権限を発揮せしめ、その判断を最大限に尊重して会社の業務を行おうとの意思決定がなされたことを意味するのである。
そして、前記各物件の取引のうち、和光が当事者あるいは仲介者として関与した取引で、被告人がその代表取締役となった以後の時期において謝礼金を受領しているものは、オーシャンファーム関係の<7>円山町物件取引(金額は一二〇〇万円)、トース関係の<1>新宿区左門町物件取引(金額は二八七六万円)、<3>中野四丁目物件取引(金額は九四五万円)、<4>高田三丁目物件取引(金額は四五〇〇万円-弁護人主張額)、<5><6>南砂四丁目・深川二丁目物件取引(金額は併せて、多くとも八〇〇万円-弁護人主張額)、<8><9>神田須田町・早稲田鶴巻町物件取引(金額は二二五〇万円)である。
合計額は一億二五七一万円(弁護人主張の金額)であるが、かかる金員については、被告人が和光の代表取締役として受領したものである。
(三) これに対して、原判決は、「若松や須藤が被告人に謝礼金を渡したのは、仲介業者らが仲介手数料等を取得した際、不動産取引の当事者である企業の担当者に対し裏金でいわゆるバックリベートを渡すという不動産業界での慣習に従い、不二建設等の行う取引に今後とも種々介在させてもらう好意ある扱いを受けたいとの思惑からであって、謝礼金はそうした好意ある扱いを受けるため、不二建設等の会社にというよりも、――被告人個人に渡された。」と認定している(判決書一七丁裏)。
(1) しかしながら、右認定は、被告人の単なる担当者としての地位をはるかに超えた不二建設及び和光での地位・権限を考慮していない。
すなわち、被告人は、不二建設においては不動産取引に関する全権を委ねられ、物件の選定、関係者との交渉、自社で開発するときは企画の立案、転売するときは転売先との交渉、更には仲介業者の選定に至るまで一切の業務を取り仕切り、また「土地持ち込みによる特名受注」というユニークな方法を案出して不動産部門と営業部門の売上を同時に向上させるなど、業績の拡大に多大の貢献をしていた。相手方の業者においても、被告人の即断即決ともいえる決断力と、被告人が一たび約束したことは、決して後になって社内で覆されることがないことから、その信用は絶大であった。その結果、不動産関連業者との関係は極めて良好であり、取引の成功の可能性が高い良質の不動産情報が被告人に集まり、多数の取引を成功させることができたのである。業者の間では、不二建設を「吉住商店」とまで命名する者もいたほどであり、業界ではその辣腕ぶりに定評があった(第五回公判調書中被告人の供述部分・公判調書群第一〇分冊一二一丁表~一二二丁裏、第一五回被告人供述調書・公判調書群第一三分冊七二〇丁裏~七二一丁裏、富永保証人調書・公判調書群第一二分冊四二〇丁表~四二二丁表、安島正祥の質問顛末書=甲二九号・証拠書類群第八分冊一〇二三丁裏~一〇二六丁裏のうち弁護人同意部分)。
(2) 被告人のかかる地位・権限については、若松や須藤らにおいても十分に認識していたところであり、単なる担当者である被告人個人に対してというよりは、むしろ被告人が実質的に代表する不二建設あるいは和光に対して支払うとの認識を有していたことは、容易に推測し得るのである。
須藤は原審公判廷において、まず、仕事においては仲介・転売・販売代理等の仕事を実際に行い、取引形態については、不二建設や和光の部長なり課長なりが入って話をし、正規の仲介手数料・販売代理の手数料を受領しており、トースが何らかの仕事をしていないのに、特に取引に噛ませてもらったようなことはない旨供述している(第四回公判調書中の同人供述部分、公判調書群・第一〇分冊四一丁~四二丁)。この供述から窺えることは、右須藤が本件謝礼金を支払っていた意図は、被告人個人から取り立てて好意ある扱いを受けたいということではなく、不二建設及び和光との正規の取引を今後とも継続し、取引上の利益を上げたいとの意図にほかならない。
つぎに、須藤は、弁護人の「被告人が(謝礼金を)何に使うか、考えたことありますか。」との質問に対しては「今、そうやってどうでしたかと聞かれれば、仕事を成功させるためじゃなかったのかと思う。」「その前の仕事のいろんな問題なんかにもそういうふうにされたんじゃないかと思う。」と答え、さらに弁護人の、いろいろな問題を解決するのに使うのかなと思っていたということですか、との質問には、「もありましたね。」と答えているのである(右同四四丁裏~四五丁表)。裁判官から重ねて被告人の謝礼金の使途に対する当時の認識についての質問を受けた際にも、「吉住常務も不動産部の責任者であると理解していますので、そういう面に使うと思っていた。」旨答えている(右同七五丁裏)。右各供述部分によれば、須藤においては、当時、被告人が会社のために使用するであろうと認識しており、少なくとも被告人が受け取った謝礼金を個人的に費消したり蓄財に充てるなどとの認識は有していなかったことが認められてしかるべきである。原判決は、かかる各証言の意味するところを顧慮することなく、須藤の当時の認識を前記の如く推測しているが、証拠の吟味が不十分というほかない。
二 不二建設における簿外資金の捻出・支出の状況と謝礼金授受の状況について
原判決は、不二建設における簿外資金の捻出方法について、山口証言に依拠して、「不動産業者に仲介等の手数料を支払った後にその一部を戻させて、簿外資金を作るということは行われていなかった。また、不二建設では、簿外資金を作り受領する場合とそれを支出する場合のいずれのときも、事の性質上社長の山口に必ず報告させて決裁を得させており、社長に隠してそれらを行うことを許しておらず、不二建設での簿外資金としての受領金額は、千万円単位に上るのはまず稀であり、簿外資金の支払い金額も百万円単位であった。昭和五九年から同六二年にかけて若松と須藤から被告人へ約二〇回にわたり合計で五億円を超える謝礼金が渡されているが、それらについては、一切社長の山口に報告されておらず、同社長は、被告人が査察官の調査を受けるまで全く知らなかった。」と判示している(判決書一八丁裏、一九丁表)。
1 しかしながら、まず、不二建設における簿外資金の存在及び額について、右山口としては、自社の裏金は本来非合法なものであり、これを認めることは会社及び自らも税法上の制裁を覚悟しなければならないことである。公開の法廷においてはそもそも一切認めたくないとする心理が当然に働いたことが窺われるのであるが、それにもかかわらず、山口が証言であえて簿外資金の授受を認めたことは、証言する以上の簿外資金の授受がなされていたからであると考えられる。
検察官申請証人である不二建設社員吉田正次は、弁護人の不二建設の裏金の授受に関する質問について、横浜の物件取引につき岩屋の角本を通じて三〇〇〇万円が支払われたこと、札幌のマンション建築につき、合計五〇〇〇万円を受領したことがあることなどの事実を「定かではありません」などと答えるのみで否定することができなかった(第一六回公判調書中同人供述部分・公判調書群第一三分冊七四〇丁~七四三丁裏)。
右裏金の授受は、一社員である吉田証人の知り得る程度のものであり、不二建設が行っていたもののうちほんの一部に過ぎないものであるが、かかる簿外資金の授受があったことをとっても、前記山口の証言が真実を述べていないことを窺わせるのに十分である。
2 また、被告人が本件謝礼金の受領及び支出について社長である山口に報告していなかったことは、原判決認定のとおりであるが、被告人は、原判決が前記一1において判示するように、不二建設における不動産取引についての「実質的最高権限者」であった。したがって、その権限に属する取引に伴う謝礼金の受領及び支出についても「最高権限者」であったといい得るのであって、そのような地位にあった被告人が本件謝礼金の受領及び支出について社長の山口に報告することは必ずしも必要なことではなかったのである。したがって、報告しなかったことをもって被告人が会社の簿外資金として受領したものでないと認定する根拠とすることは相当でなく、原判決には、この点において事実誤認がある。
3 さらに、原判決は、本件謝礼金の授受が全て現金により行われ、ホテルのラウンジや駐車場等でも授受されたことを会社の簿外資金として受領されたものでないとする認定の根拠としている(判決書一九丁表)。しかし、いわゆる裏金が現金により授受されることはこれまた当然のことであるし、授受の場所がホテルのラウンジ等であることも、それが裏金であることからすれば当然のことと言い得るのであって、そのような事実を根拠に「会社の簿外資産として受け取られたものではない」とした原判決は、事実誤認というほかない。
三 本件謝礼金の保管状況について
次に原判決は、「被告人は本件謝礼金を他の現金と特に区別することなく保管していたと認められる。」旨判示する(判決書二〇丁裏)。しかしながら、被告人は本件謝礼金については、自己の固有財産と明確に区別して保管していたのであり、その状況は以下のとおりである。
1 すなわち、被告人の母親は京都の裏千家においても位の高い茶道の正教授の地位にあり、東京の文化服装学院においても裏千家の代理として教授するほどであって、若い頃から茶道具類を収集していた。晩年になり、自分の目利きができるうちにこれらを相当な値段で処分していこうと考え、地元や東京においてこれを売却して行った。昭和五七年頃から、同人と被告人の兄は、右売却代金を信頼できる被告人に、上京の都度、預けていた。京都からの金の総額は、昭和六一年までにはおよそ二億五〇〇〇万円にも上った。
被告人は現在の浜田山の自宅に移った昭和五八年頃から、この京都からの金を、不定期に会社から受領した報奨金などと共に、自宅にいくつかあるうちのやや小さめの旅行用のトランクに入れていた。被告人及び妻八重子は、同トランク内にいれていた金員を山一證券や勧業角丸証券で運用し、あるいは自宅建築の資金の一部やマンション購入ローンの頭金に充てたりなどしていた。
一方、被告人は、若松あるいは須藤から受領した謝礼金については、現金を持ち帰る都度、八重子に対して「これは別口として保管しておけ。」と指示して保管させていた。八重子は右京都からの金員を入れていたトランクとは別個の、やや大きめのトランクに入れることにより保管していたのである(以上、第一四回公判調書中吉住八重子供述部分・公判調書群第一三分冊六一七丁表ないし六二七丁裏、第一五回公判調書中被告人の供述部分・公判調書群第一三分冊七〇七丁裏~七一二丁表)。
被告人が始めて謝礼金を自宅に持ち帰った際の状況について、八重子は、「昭和六〇年の秋頃でした。」「四〇〇〇万円くらいじゃないかと思います。」「一〇〇万円単位にゴム輪になって、それを一〇個大きくゴム輪にしたものが新聞紙に包まれて、それがデパートの買い物袋みたいなものに入っていたと思います。」「そのときは主人が預かりものだということだったんですけども。」「ちょっと今迄のものとは様子が違っていますし、どうしたのって、なにこれはって、聞きました。」「そうしたら主人は、とりあえず預かり物だからちゃんと保管するようにと、きつく言われました。」「(誰から預かったのか)名前は申しません。」「そのうちに別口だからとだけしか言いませんでした。」「ひと様の預かり物ということで、金庫にも入りませんし、別のトランクがございますんで、沢山あったものですから、母たちのお金とは別のトランクにしまうようにしました。」と証言し、示された写真を参照してそのトランクを特定している(第一四回公判調書中同人供述部分・公判調書群第一三分冊六二四丁表ないし六二七丁裏)。
2 原判決は、八重子の右証言については、八重子が検察官の取調べの際には、本件謝礼金を他の現金と区別して保管していた旨の供述をしていない、本件謝礼金も山一證券吉祥寺支店で投資信託の資金に使った旨供述していた、としてこれを信用できないと判示している(判決書一九丁裏)。
しかしながら、右認定にも種々の事実誤認が認められる。
(一) なるほど、八重子は検察官に対し、本件謝礼金を被告人個人の財産と区別して保管していた旨の供述はしなかった。しかし、それは、検察官からかかる保管状況に関する具体的な質問がなされなかったからに過ぎない。
取調べに当たった検察官は、被告人自身も捜査段階においては本件謝礼金が自分の収入であると供述していたこともあり、被告人個人の収入であると判断していた。検察官としては、本件謝礼金の保管状況について、これを他のものと区別していたかなどという事項につき当然関心も払わなかったし、事実そのような趣旨の質問もしなかったのである。
捜査段階においてかかる具体的な供述調書が作成されていないのはいわば当然のことなのである。
次に、原判決は、八重子が、検察官に対しては、本件謝礼金も山一證券吉祥寺支店等で投資信託の資金に使った旨供述していたとするが(判決書二〇丁表)、事実に反する。八重子は、公判廷において、検察官の取調べの際に本件謝礼金を投資信託の資金に使ったと述べた旨証言しているわけではない。裁判官からの「検察官の調べを受けている時にスーツケースに保管していたお金を運用していた証券会社について何と答えたんですか。」との質問に対して「角丸証券」「山一證券で私がしておりましたと申し上げたと思います。」と述べたに過ぎない(第一六回公判調書中同人供述部分・公判調書群第一三分冊七八五丁表)。
(二) また、原判決は、被告人においても、検察官に対しては、謝礼金を他の現金と区別して保管していた旨の供述をしておらず、かえって野村證券新宿支店の株式運用資金としてのみならず、山一證券吉祥寺支店等での投資信託の資金としても使っていたと供述しているとし(判決書一九丁裏)、本件謝礼金を被告人の財産と区別して保管していなかった旨認定する根拠としている(判決書二〇丁表)。
しかしながら、被告人は捜査段階においては本件謝礼金を自己の所得と認め、それに沿う供述を行っていたため、その保管状況や運用状況につき、自己の金員と区別していたことを説明する必要を感じておらず、かかる趣旨の供述をしなかったに過ぎない(第一七回公判調書中同人供述部分・公判調書群第一三分冊八一四丁表)。したがって、被告人の取調べ段階における供述をもとに、本件謝礼金が被告人の財産と区別して保管していなかった旨認定することは不当である。
3 次に、原判決は、被告人が本件リベートで購入した株券・債権類を区別せず一括して保管していたと供述していることをさらなる根拠として指摘するが(判決書二〇丁表)、株券・証券類は被告人が銘柄を特定して購入するものであるから、なんら個性のない現金と異なり、たとえ一か所に保管しておいたとしても、分類可能なのである。それゆえ、そのことをもって現金をも区別せずに保管していた旨認定する根拠とすることはできない。
4 さらに、原判決は、被告人名義での株式運用は、不二建設・和光の保管責任者としては行き過ぎた不釣り合いな行動である旨判示する(判決書二〇丁裏)。しかしながら、これは当時の株式の値上がり状況を無視した指摘である。当時の株式市況の好況のもと、世上、資産運用は株式投資によることが最も有利であると喧伝されていた時期であり、不二建設自身、社長の山口も認めるように被告人の発案により、財務の一環として株式投資による資金運用を行っているのである(第八回公判調書中同人供述部分・公判調書群第一一分冊三三一丁裏、三三二丁表)。
かかる状況に照らせば、被告人の株式による運用は決して会社の資金の保管者として「行き過ぎた不釣り合いな行動」などではないことが明らかである。
四 本件謝礼金の帰属に関する被告人の認識について
1 原判決は、昭和六二年一一月、オーシャンファームの若松に対して国税局の調査があった以降、本件裁判の第一回公判の後に被告人が本件謝礼金の所持の帰属を争うに至るまでの被告人の一連の行動を採り上げ、被告人自身が本件謝礼金は自己に帰属すると認識していたことを推認させるに十分である旨判示する(判決書二一丁表ないし二二丁裏)。
しかし、原判決が指摘する事実のうち、謝礼金の帰属についての被告人の認識を判断するうえで関連するものは次の点である。
被告人は、<1>昭和六三年二月四日、同年七月、平成二年三月一五日の三回にわたり所得税の修正申告をし、昭和六三年二月から平成二年七月にかけて納税した。<2>昭和六三年二月七日、山口に謝罪した際には不二建設等の会社の簿外資金として謝礼金を受け取ったということは述べず、<3>査察官及び検察官に対し謝礼金が自己の所得である旨供述し、<4>本件裁判の第一回公判において本件起訴事実を全面的に認め、弁護人も検察官申請のすべての証拠に同意した、
ということである。
しかしながら、右<1><3><4>の事実は、いずれも、被告人が、本件謝礼金のうち二億二八〇〇万円を会社の業務のため内山に支払った事実を秘匿し、ひいては会社の裏金の授受の実情を明らかにしたくないという心情から、一切、個人の所得として事件を処理しようとした結果である。また、右<2>の事実は、山口が、被告人の弁明に全く耳を貸そうとしなかったからに過ぎず、被告人は、原判決が認定するように、その直後には山口に会社の所得として修正申告してほしい旨頼んだのである(判決書二一丁裏)。
したがって、右各事実をもって、被告人の謝礼金の帰属についての認識が、会社ではなく自己にあったと判断することは誤りである。
2 なお、原判決は、右判示の中で、「<1>昭和六三年二月一日ころ、被告人が自宅の金庫とスーツケース内の現金証券類のほとんどをホテルの一室に持ち込んでいること、<2>同年二月四日の修正申告に際しては、若松のメモには記載のなかったオーシャンファームからの四物件に関する謝礼金や須藤からの謝礼金すべてにつき申告していないこと、<3>査察を受けた当日には、査察官には現金一億円と証券類の一部のみを提出し、数日後に残りの約二億円相当の証券類と現金約五〇〇〇万円を京都に住む実兄に預けている」などの行動を挙げているので、その理由について、説明する。
(一) <1>については、被告人は昭和六三年一月三〇日ころ、若松から急いでオーシャンファームから受領した謝礼金につき修正申告をしてほしい旨の依頼を受けた。しかし、当時、若松から受領した金額とその各受領年月日などが判然としていなかったために、急遽社員に命じて右取引関係の資料をコピーさせて、その受領年月日を特定し、いかなる方法で運用していたかを把握する必要があった。また、被告人のもとには、京都の実家で茶道具類を売却した代金などを山一證券や勧業角丸証券で運用した約二億五〇〇〇万円相当の現金・証券類があり、前年より兄晃一とその額につき協議をしていたという事情があったため、若松の右修正申告の依頼を機に、自己の保管する証券・現金類を整理するため、ホテルの一室に持ち込んだものである。
(二) <2>については、被告人がオーシャンファーム分として申告していないのは、阿佐ヶ谷南三丁目物件、南青山二丁目物件、本郷五丁目物件、高輪四丁目物件の分であるが、前二つの取引は、オーシャンファームの前身であった大洋興発との取引であった。また、後の二つの取引には契約上オーシャンファームは現れず、西北実業が関与した取引であった。そのため、被告人が社員に指示して用意させた資料にはかかる四物件の資料が抜け落ちており、かつ若松が被告人に修正申告を依頼した際に提示したメモにもこの四物件の取引が記載されていなかった。そのために、被告人はかかる取引の謝礼金の申告まで思い至らなかったのである(第七回公判調書中の被告人供述部分・公判調書群第一一分冊二七八丁)。
また、須藤からのリベートにつき当初申告を怠っていたのは、須藤側よりこれを国税査察官に明らかにしたくないので被告人においても黙っていてほしいとの要請を受けていたためである(右同)。
(三) さらに、<3>については、国税局の査察に際し、被告人とその兄弟ら個有の財産である茶道具類の処分代金と本件謝礼金との混同を避けるため兄晃一に届けたものである。被告人は、その後、査察官から両者を混同することはない旨の教示を得、同年四月には、晃一から返還を受けている。その経緯には自らの財産隠しの意図は認められない(第一五回公判調書中被告人供述部分、公判調書群第一一分冊七〇三丁表~七一七丁表。別添資料2吉住晃一上申書)。
五 本件謝礼金の使途について
1 内山勝美に対する支払いについて
(一) 原判決は、被告人が原審において主張している、内山勝美に本件謝礼金のうちの相当部分を支払った旨の金銭の動きにつき明確な認定をせず、単にその「可能性がある」との認定にとどめているが、内山に対しては被告人から現実に約二億二八〇〇万円が支払われているのである。
すなわち、被告人は内山に対し以下に述べる経緯により、取引上の借りを作っている。
<1> 不二建設は、昭和五九年九月一九日、渋谷区代々木四丁目九番の土地を、右内山が実質的オーナーである喜久物産を仲介人として、一一億五六六四万五〇〇〇円で株式会社三武に売却した。不二建設は喜久物産に対し仲介手数料三パーセント相当の三四六九万九〇〇〇円を支払った。ところが、新都心地所、紅屋、ほか数社が、後日、自分たちが先に仲介したのであるなどとして不二建設に対し仲介料の請求をしてきたため紛争を生じた。
被告人は相当に強い抗議を受けたため、いろいろ揉めるよりも支払って穏便に解決すべきであると判断し、その解決を喜久物産に依頼した。喜久物産は一五〇〇万円をその業者らに支払って解決をしたが、その際、被告人は内山に対して右支払に要した金額につき「私の方の責任で後々補償するから」と約束した(弁三二号証、第六回公判調書中被告人の供述部分・供述調書群第一〇分冊一四三丁~一四五丁、別添資料3伊藤秀徳の上申書)。
<2> また、不二建設は、昭和五九年九月頃から、神奈川県大和市西鶴間三丁目三〇八五番一、二、同三〇八六番の土地(以下「西鶴間の土地」という。)について、右内山と共同して、これをハイネス恒産株式会社に購入してもらい、不二建設はマンションの建築発注を受けるという計画を進めていた。地主の阿波慶との買収交渉は、無理難題ともいうべき要求に難航を極めたが、昭和六〇年二月二七日、喜久物産の仲介により、ハイネス恒産が三五億四七〇八万五〇七八円で買い取ることができた。そして不二建設は、昭和六一年三月一九日、右内山が実質的オーナーであったユー・アンド・ユーを設計管理者として、ハイネス恒産から、四四億六三五〇万円で、マンション建築工事の発注を受けることに成功した。
その間、右内山は、土地売買に関し、契約直前まで土地価額の評価に不満を表明していた地主からの要求を容れて契約外の裏金として二億円を建築工事が完了する昭和六二年九月までに支払う約束をした。
さらに、地主やハイネス恒産から売買の仲介に三井信託銀行株式会社を加えることを要求され、その結果、喜久物産が取得する予定の仲介手数料の二分の一である五三二〇万六〇〇〇円が三井信託銀行に支払われ、喜久物産はその分の利益を失った。
また、右内山は、開発業務に関連して関係官庁との折衝、近隣対策、居住者との立ち退き交渉等に要する費用及び喜久物産の報酬を合計で六〇〇〇万円と見積もったが、施主であるハイネス恒産側は採算上販売コストに限界があるとして、開発関連経費としては三〇〇〇万円の支払いに応じたのみであった。そして右三〇〇〇万円は関係官庁との交渉にあたった議員への謝礼や住民側に立った同和関係者への支払いに全て支出されてしまい、喜久物産は報酬相当分の三〇〇〇万円を得ることができなかった(富永第一回四丁裏・公判調書群第一二分冊四一〇丁、四一一丁、降旗・右同五七一丁裏~五七三丁裏)。
被告人は、内山が事業完成のためやむなく支出し、あるいは得られなかった右各金員について負担することとし、昭和五九年一二月、内山と協議のうえ、地主に支払う裏金の二分の一の一億円、三井信託銀行に支払われた金五三二〇万六〇〇〇円及び開発関連業務の報酬三〇〇〇万円合計一億八三二〇万六〇〇〇円を、内山に対し、不二建設の建築工事着工から終了までの間に簿外で支払うこととした(弁八号証~一三号証、第六回公判調書中被告人の供述部分・公判調書群第一〇分冊一四七丁~一五六丁)。
<3> また、不二建設及び和光は、昭和六〇年九月頃、群馬県吾妻郡草津町の土地を開発する計画を立て(事業者和光、建築請負は不二建設、設計管理はユー・アンド・ユー)、当時の土地所有者の西洋環境開発株式会社らと交渉を進めていた。しかし、約一年後の同六一年九月頃、近隣で不二建設及び和光の取引先である伊藤忠商事が同様の企画を進めていることが判明し、同社に対する配慮から和光は事業から一歩引き下がることとした。
そして、土地を紹介した仲介業者からは、「約一年もの間契約がまとまらないのであるから他に持ち込みたい。」との意向を示されていたために、急遽、被告人は内山に対し和光に代わって喜久物産が事業者となることを依頼し、取り敢えず喜久物産が仲介業者に手数料三〇〇〇万円を支払い、西洋環境開発から買い受けることになった。
喜久物産は、本来であれば和光が負担するはずの仲介手数料三〇〇〇万円を仲介業者に対して支払ったものであり、被告人はこれを会社の借りであるとして内山勝美に対して簿外での支払いを約束した第六回公判調書中被告人の供述部分・公判調書群第一〇分冊一五六丁~一五九丁)
なお、喜久物産は、その後、右土地を開発して分譲リゾートマンションを完成し販売した(別添資料4新聞広告)。
以上のように被告人は、右内山に対し、右三件の事業の遂行上、右内山が負担を余儀なくさせられた金員合計約二億二八〇〇万円の支払いを約束した。
(二)(1) 原判決は、右支払いの約束が存在したことを否定し、その根拠として、前記西鶴間の土地取引に関し「阿波は、ハイネス恒産に対して坪単価を五〇〇〇円上乗せさせ、国土利用計画法の勧告如何にかかわらず坪六九万五〇〇〇円を確保できるよう条件を付し、さらに契約が中止になったときに備えて三〇〇〇万円のいわばペナルティまで約束させて、売買契約書を交わし売却することに応じているのであり、このように契約書を交わすに至っていながら、阿波がなお二億円の裏金を要求していたというのは不合理であって考え難く、」判示しているが(判決書二八丁裏)、原審に表れている関係各証拠によればかかる認定こそ不合理である。
すなわち、阿波は、右土地の坪単価を国土法届出額のいかんに関わらず、終始一貫して坪八〇万円と主張していたのであるから、その差額の補填を要求することについては十分な理由があり、現に、これを内山に要求し、受領したのである。
ハイネス恒産の取締役開発部長として西鶴間の事業に深く関わっていた富永保の証言によれば、内山の阿波への裏金の支払約束について「阿波さんは坪八〇万の値打ちはするとおっしゃっていました。国土法を認めない方でしたから、かなりこだわっていました。自分の土地に対するプライドが非常に高い方ですので、何らかの金銭を内山さんが支払ったと思っております。契約してしばらくしまして阿波さんがお見えになりまして、新宿の小田急のビアホールで小耳にはさんだのですが、内山さんが阿波さんに対して、例のお金をご自宅のほうへお持ちします、ということが耳に入りました。(例のお金というのがこの売買にまつわるお金だというふうに考えたのですか。)はい、もうこの話だけしか話題に出ませんでしたから。」旨証言している(富永保尋問調書・公判調書群第一二分冊四一七丁~四一九丁)。
また、被告人が内山に支払う約束をしたことについては、「新宿のどこかのホテルで三人で会食した時に、内山さんから吉住さんに相談のかたちでいろいろなお金の話があったように記憶しています。そのときには吉住さんが後でよく相談しようと、任しておけと言うような話を二人でされていたのを聞いています。」という趣旨の証言をし、どういうお金であるか分かったのですかという質問に対しては「それは阿波さんということは、内山さんのほうから話が出ていました。」と述べているのである(右同調書四一七丁)。
(2) 原判決は、右富永証言につき、「想像・推測にわたる点が多く、第一回証言と第二回証言とでは、国土利用計画法上の届出後にも阿波からハイネス恒産に土地代金を越える請求があったか否か等についてその内容が変化している。」とし(判決書二九丁表)、それを根拠として、同人の証言の信用性を全面的に否定しているが、以下の点において重大な誤りを犯している。
第一に、右富永証人は当時の西鶴間の開発事業に契約当事者として関与していた者として、今日では唯一の証人である(被告人を除き、内山、阿波両名は既に他界している。)。したがって、同人の証言内容は、右契約締結の経緯に関する当事者のやり取りの事実を認定するうえで、最も貴重なものであり、その信用性は安易に否定されるべきではない。
第二に、原判決は富永証人の中立的な立場を何等斟酌していないことである。即ち、同証人は、三井信託銀行を経てハイネス恒産に入社し、以来常務取締役から専務取締役をつとめている人物である。しかもハイネス恒産の不動産開発部長として西鶴間の土地の開発事業に会社を代表する立場で関わっていた際においては、常に国土利用計画法を遵守し、会社の事業採算を念頭に入れ、取引の相手方であった地主の阿波慶、建築工事の請負会社である不二建設に対しても何等おもねることなく、毅然とした態度を貫いていることは、同人の証言中から十分窺われるところであり、かかる証人の属性に照らして、そもそも虚偽の証言を行う如き人物ではないことは明らかである。また、被告人とはお互い会社を代表する立場で折衝を行ってきた関係に過ぎず、ことさら何等の根拠を欠く推測をして被告人に有利な証言をする必要性も認められないのである。第三に、富永証人は、「場所は新宿の小田急のビアホールで、内山、阿波と同席し土地売買代金に関する話しか出ないような席上、内山が阿波に対して例のお金は後ほど自宅のほうにお持ちしますと言った。」旨の証言をしているのであり、内容は具体的である。かかる証言内容に関しては何等の想像や推測は存しないというべきであり、その信用性を否定する理由はない。
第四に、富永証人は、第一回目の証言において、地主阿波は、ハイネス恒産に対しても国土利用計画法上の届出後不勧告通知があった後でさえも、坪当り七〇万円という金額には納得していなかった旨証言しており(同人第一〇回公判調書・公判調書群第一二分冊四二七丁、四二八丁)、第二回目の証言においても、阿波が、ハイネス恒産との間で一億円の授受と念書を取り交した後、さらには売買契約締結の後の時期にわたっても西鶴間の土地が坪当り八〇万円であることを一貫して主張し、一方、ハイネス恒産としてはこれ以上出せないと主張していた旨やはり明瞭に証言しているのであり(同人第一六回公判調書・公判調書群第一三分冊七六〇丁、七六一丁)、かかる点につき同人の二回の証言内容には何等の変化はない。すなわち、富永証人は、右二回の証言において、地主阿波は国土利用計画法の届出後売買契約ぎりぎりの時期まで坪当り八〇万円という主張をしており、その後の時期においてもやはりみずから設定した価額に固執していたことを証言しているのである。
富永証言は、前後を通じて重要部分において首尾一貫しているのであり、その信用性は十分に認められるところである。
(3) また原判決は、「仲介業者にすぎない内山にそれ(裏金)を要求し、内山がこれに応じたというのも不自然である。」と判示しているが(判決書二八丁裏)、何ら不自然ではない。
すなわち、西鶴間の事業計画は、内山が自ら積極的に企画推進した事業である。また、仲介を担当した喜久物産のみならず、土地を買ってマンションを建築、販売するハイネス恒産、建築を請負う不二建設、設計管理を請負うユー・アンド・ユーの何れにとっても大きなスケールメリットがあり、各社が意欲的に取り組んだ事業であった(富永第一回公判調書群第一二分冊四〇六丁、四〇七丁、四一九丁)。自分の土地に異常なプライドをもった、しかも一般の常識が通用しない地主阿波の説得はきわめて困難であった。しかし同時に関係者には計り知れないスケールメリットへの期待があり、内山には、一億三〇〇〇万円という高額な設計管理料をもってユニークな建物を建築し、さらには次の事業にも参画できるという魅力があった。かかる状況のもとで、内山が土地代金の面で折りあいが付かずに計画を頓挫させるわけには行かないという考えを抱き、最終的には地主に裏金を払って事業の成功に邁進したことは充分に推認できることである。
(三) また、原判決は、「被告人は内山との間に権利関係に関する書面を一切交わすことなく、返還時期等についてもはっきりとした取決めもせずに二億円を越える株式等を預かっていたことになり、いかに友人同士であるとはいえ不自然」として、被告人の公判廷の供述の信用性を否定する根拠としている(判決書二九丁表)。
しかしながら、右認定も根拠に乏しいものである。
(1) すなわち、内山と被告人とは、公私にわたって親密な交際を続けており、高度の信頼関係で結ばれていたものである。しかも内山の方から申し出て被告人に資金を預託し、株式等による運用を依頼しているのであり、被告人に対して預託した資金の預かり証等を要求するなど、到底考えられず、特に書面の取り交わしがなくても、不自然ではない。
(2) さらに、たとえ被告人が内山の金銭を保管・運用している間、双方に明確なる返還時期の約束をしていなかったとしても、何等異とするには当たらない。
すなわち、被告人が内山から金員の保管・運用を委託されるに至った経緯は、要旨次のとおりである。
まず、被告人は内山に対して前記のとおり合計約二億二八〇〇万円を支払う約束をした。
そして、昭和六一年二月頃、被告人は謝礼金が約一億四〇〇〇万円前後溜っていたため、取り敢えず西鶴間の一億八三〇〇万円余りの大半を支払いたい旨申し出たが、内山はこれを当分手元に置く必要はないとして、被告人に預ける旨述べ、当面の運用を任せている。この点、原審公判廷において被告人は、「手元に一億四〇〇〇万円前後のお金が溜っていたので、その時期に返そうかとの話をした。内山氏の返事は、地主さんには(西鶴間)の建築工事期間中に分割で支払えばいいので今は一括で支払う必要はない。したがって、この金は当分何か利益あるものに運用でもしておいてとのことであったので、野村證券の新宿支店で株式運用を始めた。大体大手の手堅い会社で運用して行こうということを内山氏との間で決めた。内山氏と相談して銘柄を決めていた。昭和六一年に一億六〇〇〇万円余り、六二年には若干増やしてトータルで一億七八〇〇万円を投資して運用した。」旨供述している (第六回公判調書中被告人の供述部分・公判調書群第一〇分冊一六三丁、一六四丁)。
被告人は、右一億七八〇〇万円については内山から委託を受けてこれを保管し、内山の依頼により、当分の間、株式やファンド類に投資して運用していたのである。即ち、右一億七八〇〇万円につき被告人は内山との間で寄託契約を締結していることになるが、その返還時期については、内山が被告人に精算を求めれば何時でも被告人はこれに応ずるという約束となっていたことが明らかである。かかる返還時期を定めない寄託契約は何等異例のものではない(民法六六三条一項)。また、内山としても、被告人に対して右金員を株式やファンド類に投資することを任せた以上、株式市況が好調であった当時の状況からして、当分の間被告人に有利に運用しておいてもらい、将来まとまった金銭が必要となった際には精算してもらおうと考えていたとしても不思議ではない。
したがって、返還時期が明確ではなかったとしても、このことをもって、被告人が内山から金銭の寄託を受けたことを否定する理由とはなりえないのである。
(四)(1) また、原判決は、被告人の「内山と不二建設をかばっていたとの供述も、内山に対する支払関係を明らかにしたいといって、そもそも謝礼金の受領自体山口社長らの関知しないことであるから、かならずしも不二建設の簿外資金の存在を暴露することにはつながらないし、多額の納税と刑事被告人としての処罰を甘受してまで内山をかばおうとしたというのも理解し難く、そこまでかばおうとしたのなら、内山が亡くなってから一転して暴露するという行動に出るのも納得が行かず」として、「被告人の公判廷での供述は信用できるものではない。」と判示する(判決書二九丁裏)。
しかしこの点についても、本来裁判所の納得が得られないような事柄ではないと考える。
第一に、被告人は不二建設の不動産取引における実質的な最高権限者、また和光においては代表取締役社長として名実ともに最高決定権限者であり、また、内山に対する簿外での支払いは会社のために行ったものである。右事実は、本件謝礼金が会社に帰属することを窺わせるものであり、その結果、国税調査官の調査及び検察官の取調べにおいて、会社における簿外資金運用の実情が問われることは当然に予測されたところである。それゆえ、内山への簿外での支払いを明らかにすることは、会社の他の簿外での支払い、ひいては簿外資金の存在を暴露することに直結するのである。したがって、被告人が内山や不二建設らをかばう気持から、右簿外資金につき沈黙していた旨の供述は、何等異とするに当たらないものである。
このことは、原判決がいう「謝礼金の受領自体山口社長らの関知しないこと」とは無関係である。
第二に、内山と被告人との交際は公私の亙るものであり、仕事上の交際を越える親密なものであった。被告人がかかる交際を続けていた内山に迷惑をかけたくないと考えて、その所得につき沈黙していたことも、十分に首肯しうることである。
(2) 被告人が、第二回公判以降、内山に対する支払い関係を明らかにするに至った経過は以下のとおりである。
被告人は、捜査の段階において、当時の弁護人安田道夫弁護士らに対し、内山という名前は出さなかったものの、会社の取引に関連して二億円以上の支払いをした旨を打ち明けていた。しかしながら、右事実を明らかにすれば、内山や会社に迷惑がかかることを恐れ自分一人が刑罰を甘受すれば足りるものと安易に考えてうち内山への支払いを秘したまま、取調べ及び原審第一回公判に臨んだ。
ところが、被告人は第一回公判後、平成二年三月二七日に保釈を得た直後の同年四月二日、右内山が死亡し、これまで沈黙していた努力が水泡に帰してしまった思いがした。そのうえ、同年四月二〇日ころ、当時の弁護人が第三者に被告人の処罰は実刑が予想される旨話したことを伝え聞いた。そこで、被告人は、今後の方針について右弁護人らにあらためて助言を求め、弁護人らから、このまま自己の所得と認めて公判を進めても、実刑判決をうける可能性は極めて高いので、将来悔いの残らないように真実を話すべきであるとの助言を受けた。
被告人が、公判において全てありのままを話す決意をし、当初の弁護人らの意向を容れて新たに弁護人を選任し直したうえ、真実を述べるに至ったことには、以上の事情によるものであり、被告人の心理の葛藤の末の選択であった(別添資料1安田道夫の上申書)。被告人が以後原審公判廷において述べていることは全て真実なのであり、公判の途中で供述を変更したこと自体、非難するには当たらない。
(五) また原判決は、被告人から内山への資金の流れの可能性を認めつつも、その趣旨については被告人の主張を排斥したうえで、「本件謝礼金とは係わりのない別個の事情に起因するものと思われる。」と判示している(判決書三一丁裏)。
しかしながら、内山分の金銭の運用状況に関する被告人の供述についても、野村證券の当時の担当者及び関係資料により十分にその信用性が裏付けられているのである。
(1) まず、前述のとおり、昭和六一年二月頃、被告人は内山との間で借りの返済につき協議した。当時被告人の自宅には本件謝礼金のうち一億四〇〇〇万円前後が保管されている状況であったため、被告人はこれをもって取り敢えず西鶴間の借りの大半を返済すべく申し出たのである。しかし内山は、右金員を受け取ることを承諾したものの、当分はこれを手元に置く必要はないとして、被告人において預かり運用することを委ねた。
そこで、被告人は内山と相談して手堅い大手の会社の株式購入によって運用することとし、昭和六一年六月から同六二年九月まで、本件謝礼金のうち合計金一億七八〇〇万円を野村証券新宿支店を介して株式等の有価証券に投資し運用してきた(弁三四号証~四七号証・証拠書類群第九分冊一三二一丁~一四〇九丁、第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一六二丁~一六九丁)。
この状況については、当時の野村証券新宿支店での担当者であった島田守が、「昭和六一年の六月頃、被告人から一部預っている金であることを聞いた。七月の初め、被告人から金を受取りに不二建設に行ったとき、後に内山と判った男性が同席していた。一〇月一日、二八六二万九七六一円を授受したとき、被告人からその男性を紹介され名刺交換をし、内山という名前であることが分かった。一〇月二九日、不二建設の応接室に内山が同席し、同人から被告人のほうにいくばくかの資金を一緒にお願いして運用してもらっているんですと言われた。」旨明確かつ具体的に証言しているのである(同人証言調書・公判調書群第一一分冊三六七丁~一三七二丁)。
(2) 被告人は、昭和六二年一二月末に、それまで内山のために運用していた株式(株券)とファンド類につき、メモを添えて内山に返還したが、同六三年四月頃になって内山から、別件の国税当局の反面調査が入ったため、「置いておくとまずいから吉住さん保管しておいてくれ。」と頼まれ、再度預かることとなった(弁二六、二七号証、第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一七三丁、一七四丁)。
被告人は、右内山が平成二年四月二日に死亡して間もない時期である、同年四月から五月の連休の間、内山方を妻八重子とともに訪問し、応対に出た内山の妻喜久子と祭壇が飾られている居間(四十九日の前の時期であった)で世間話などするなかで、同人に対して「内山さんから預かり物があるのでお返したい。」旨伝えた。同人はこれに対し、「借金が残っているということで取り立ての話はありますが、返すという話は吉住さんが初めてです。」と答えた(吉住八重子一四回証人調書・公判調書群第一三分冊六三五丁~六三七丁、第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一七五丁)。
もっとも内山喜久子は原審公判廷において右会話の内容につき、「覚えていない。」などと述べているが、被告人が、内山方を訪問したこと、夫の死亡早々借金の返済を追ってきた者があったこと、内山の葬儀と自分の親族の葬儀とが重なったことなどを話したことについてはこれを認め、被告人の供述を裏付ける事実を証言している(同人尋問調書・公判調書群第一二分冊五三六丁、五三八丁)。
また、後述するごとく、内山が野村証券において自らも株式の売買を行っていたこと、しかも最後の取引には喜久子が同席していたことは、野村証券の担当者であった中野俊之が明確に証言しているとおりである(同人尋問調書・公判調書群第一三分冊五九八丁~五九九丁)。内山喜久子はかかる事実さえも「無かった」あるいは「記憶に無い」などと述べている。
被告人が供述する会話内容を否定する内山喜久子の前記証言は、到底信用できない。
(3) また、被告人は、昭和六二年二月末ころ、本件謝礼金のうちから前記代々木の土地の件につき発生した借りである一五〇〇万円と、前記草津の土地の件につき発生した借りである三〇〇〇万円、及び前記西鶴間の件で未払いになっていた金員の内五〇〇万円、合計五〇〇〇万円を内山に対し現金で交付して支払った。ところが、右内山は一旦はこれを持ち帰ったものの、その後この五〇〇〇万円についても被告人において運用することを依頼してきた。しかし、被告人は昭和六一年一〇月二九日、野村証券の担当者であった前記島田から内山の金員である前記一億七八〇〇万円が被告人名義で運用されていることについて規則違反である旨の指摘を受けていたので、これを断った。そのため内山は、自己名義の口座を新規に開設し、昭和六二年三月一七日と同月二七日、株式に投資して自ら運用を始めたのである(弁四八号証、島田尋問調書・公判調書群第一一分冊三七二丁~三七六丁、中野俊之尋問調書・公判調書群第一三分冊六〇〇丁、吉住八重子一四回尋問調書・公判調書群第一三分冊六二八丁、第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一七〇丁)。
内山の右株式売買の事実について、昭和六二年一一月に島田から担当業務を引き継いだ野村証券の中野俊之は、「内山さんは昭和六二年当時、業務引き継ぎの際顧客となりました。取引は一九九〇年の初め頃までだったと記憶します。」と証言し、内山との取引や会社に書類の署名捺印を貰いに行った際の状況、及びユー・アンド・ユーの社長室において内山に付き添っていた内山喜久子に対し現金約二五〇〇万円を渡した状況を詳細に述べている(同人尋問調書・公判調書群第一三分冊五九四丁~五九九丁)。
かかる証言に照らして、内山が被告人から受領した五〇〇〇万円で、自ら株式取引を行っていたことは明らかである。
2 株式会社岩屋、株式会社三晃設計への支払約束について
(一) 被告人は、原審において本件謝礼金の使途として、前記内山への支払のほかに、次のとおり株式会社岩屋及び株式会社三晃設計に対する支払いの約束が存在したことも主張している。すなわち
(1) 不二建設は、昭和五九年一二月一八日、渋谷区神宮前三丁目一番一二の土地について、株式会社岩屋が前地主から七億円で買い受けたところを七億五〇〇〇万円で転売を受けた。不二建設としては隣地と併せて開発する必要上是非とも入手が必要な物件であった。
岩屋は、利益が極めて少なかったため約一億円の利益の補填を被告人に要求したが、被告人は五〇〇〇万円を限度として支払うことを約束し、これが岩屋への借りとなっている(弁五、六号証、第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一三五丁~一三七丁、別添資料5清岡正治の陳述書)。
和光は、昭和六一年二月一三日、千代田区有楽町一丁目一四番二の土地建物を金一五億〇五〇七万円でハイネス恒産に売却したが、その際、岩屋に売却の代理を依頼し代理手数料九〇三〇万四〇〇〇円を支払った。ところが右売却に際し、不二建設他四社が仲介に入ったので、岩屋はこれらの仲介業者に対し六九三二万六〇〇〇円の支払いを余儀なくされた。
岩屋は、これらの仲介業者が介在したのは和光の差配によるものであるとし、その支払い手数料相当額の支払いを被告人に対して要求し被告人もこれに応じることとした。そのため同金額がやはり岩屋への借りとなった(弁一五~一七号証、山口尋問調書・公判調書群第一一分冊三一〇丁、第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一三八丁~一四二丁)。
(2) 不二建設は、昭和六二年二月頃から、株式会社三晃設計との間に港区南麻布一丁目一-八一、同一-一二五の土地について、マンションの建築を企画し、三晃設計が昭和六二年二月六日、旧所有者から土地を買収した。そして同年四月二二日、佐々木通商株式会社、更にライベックス株式会社へと転売された後、昭和六三年一〇月三一日、同社との間に九億七〇〇〇万円で工事請負契約を締結するに至った。被告人は、不二建設が本件土地について工事の受注をしたときには工事紹介料として二〇〇〇万円を三晃設計に支払う旨約束しており、これが三晃設計に対する借りとなった(山口尋問調書・公判調書群第一一分冊三二一丁~三二三丁、第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一六〇丁~一六二丁、別添資料6小堀諭の陳述書)。
被告人は、かかる岩屋及び三晃設計の借りに対する支払いにつき、オーシャンファームあるいはトースから受領した謝礼金をもって充てようと考え、現に岩屋にはその旨申し出たが、簿外での支払いを断わられ、また三晃設計については工事の受注に成功した時点では被告人が不二建設を退職していたため、いずれも未払いのままになっている(第六回公判調書中被告人供述部分・公判調書群第一〇分冊一六〇丁~一六二丁、右同調書一六一丁、一六二丁、一七六丁)。
(二) 被告人の右主張につき、原判決は、単に「被告人の公判廷供述は……信用できるものではない。」との理由を付したのみでこれを否定し、本件謝礼金を不二建設や和光の債務の支払に当てる意向であったとは認められず、個人的な用途に当てていたものと認められる旨判示している(判決書三〇丁表裏)。しかしながら、被告人が主張する右岩屋・三晃設計に対する支払約束の事実は、内山への支払と並んで、被告人が当時不二建設及び和光のために、その事業に関して約束した支払義務を本件謝礼金によって支払おうとしていたことを示す重要な事実である。
以上のような事実関係からすれば、弁護人が原審において主張したように、本件謝礼金は不二建設及び和光に帰属すると認定されてしかるべきものと思料するが、その反面、原判決の指摘するように、被告人に帰属すると認定されてもやむを得ない事情があることも否定できない。
そもそも、会社の代表者あるいは業務執行の実質的権限を有する者が会社の業務に関して関係業者から本件のような謝礼金を受領し、これをいわゆる裏金として運用することは、事の当否は別にして往々にあることであり、その場合、授受された金員は、特段の事情がないかぎり会社に帰属すると見るべきであろう。しかし、そのような裏金は、当然のことながら会社の正規の経理とは別に経理され、その管理も比較的ルーズに流れ易く、さらにその運用も裏金の受領者自身の判断に委ねられるのが通例であるから、そのような観点からすれば、その裏金は、会社に帰属するものとは認め難いとされ、受領者個人に帰属すると見られる余地もあるのである。
したがって、右のような謝礼金については、その性質上帰属先を明確に判定し難い場合が少なくない。しかし、帰属先を受領者個人とするという明確な合意がある場合やその金額等から個人的な謝礼であることが明らかな場合は格別、一般的には、会社の業務に関して授受される金員であることから、授受当事者の意識は明確でないものの、その授受は純粋に個人的な贈与としてではなく、受領者においては、会社として必要な簿外の支出に充てる裏金の財源として受領し、これを贈る側においても、受領者によってそのような運用がなされるものと考えて授受されるのが通例と思料されるのであって、本件もその一例であると言い得る。
そして、本件において、被告人は、本件謝礼金を会社の裏金として受領し、管理運用していたものであり、そのことをうかがわせるに足りる証拠も存するのである。したがって、本来明確性を欠く本件謝礼金の帰属先について、適用法令との関係から法人又は個人のいずれに帰属するかを決せざるを得なかった原判決の結論自体は仮に相当であるとしても、実質的には会社に帰属すると見得る余地のある本件謝礼金について、これを専ら被告人の個人的資産に属するものであるとし、被告人の行為を自己の資産の増加を目的とした利己的な犯行であるとした原判決には、事実認定のみならず量刑にも影響を及ぼす重要な誤りがあると言わざるを得ない。
第三 原判決の量刑不当
原判決は、「量刑の理由」として、脱税が四年度にわたり継続して行われ、その額は合計三億二六三三万円余という高額であり、脱税率も極めて高く、「悪質な事犯である」と断定した上、「脱税の元となった所得は会社における自己の立場を利用して、会社に内密に業者から得ていた謝礼金、いわるリベートであり、社会的に非難されるべき所得といえる」「それがため、謝礼金を得るに際して、業者が架空の経理処理を行うことを当然の前提とし、当初からその所得については申告する意思を持っていなかった」「その意味で計画的な脱税といえる」「犯行の動機も、自己の自由にできる資産を増加させるという利己的なものであって、特に酌むべきところはない」とし、さらに「査察を受けた約一か月後に判示第四の犯行に及んでいる」「ここに納税意識の希薄さが現れている」「謝礼金を提供した業者との間で口裏を合せ」「親族にも口裏合せを依頼し」「逮捕されるまで一業者からの謝礼金に関しては脱税を否認し続け」「公判においては、再度否認に転じて理由のない弁解をし」「罪を免れるためなりふりをかまわないよう(な)態度を示している」とし、「自己の行為に対する反省が十分なのか疑問である」「したがって、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない」とした。
このような原判決の厳しい量刑理由には、被告人としても肯認せざるを得ない点が多々存しており、被告人においては、原判決の事実認定に関しては先に述べたように承服し難い部分もあるが、本件謝礼金に関して国に納付すべき税金を納付しない行為に出たこと、また、主張や供述を変更して原審裁判所はもとより、査察当局や検察当局を煩わせたことを深く反省しているところである。
しかしながら、原判決の判示する量刑理由のうちには、その前提事実に対する事実誤認や評価の誤りも少なくないと思料するので、改めてそのそれぞれの点に関する実情を述べ、貴裁判所の理解と適切な判断を求めるものである。
一 脱税額等について
原判決は、本件脱税額の合計が三億二六三三万円であるとし、そのうち昭和六二年分の脱税額については、謝礼金収入が一億四五六二万円であることを前提に、脱税額八六九九万一四〇〇円と認定する(判決書三丁裏、判示第四)。
しかしながら前記第一で詳述したとおり、被告人が同年に得た謝礼金の額は八七五〇万円であり、原判決は、事実を誤認して一億四五六二万円としたものである。したがって誤って過大に認定された五八一二万円にかかわる所得税三四八七万二〇〇〇円は、右認定の脱税額から差し引かれることになるから、結局、被告人の昭和六二年分の脱税額は五二一一万九四〇〇円である。
そうすると被告人の本件における脱税額の合計は二億九一四六万円となり、これは量刑にあたり被告人に有利に斟酌すべき事情である。
二 所得の性格について
原判決のいうように本件謝礼金は、被告人個人に帰属するとしても、前記第二で詳述した事実、特に被告人が不二建設及び和光における不動産取引の実権を掌握していた事実、右会社の取引に関連して本件謝礼金を取得し、また右会社の取引に関連して右謝礼金の中から支出していた事実に照らせば、実質的には会社のための収入であり支出であるとみることができるのである。かかる観点から、原判決が認定した謝礼金額を前提として、被告人の脱税額を法人税法違反として計算すれば、昭和五九年から昭和六二年までの四年間につき、その間の法人税率の最高限であった四二パーセントを適用しても以下のとおりである。
<省略>
なお、右計算は、四年間の謝礼金収入の合計額からその間の支出合計額を控除して、これに四二パーセントを乗じても同様である。
すなわち、被告人の脱税額は、形式的に所得税法違反としてとらえれば、原判決のいうように三億二六三三万円という高額なものになるが、被告人の行為の実体に着眼し、もし法人税法違反としてとらえてみれば、脱税額の合計は最高税率で計算してみても一億一六五七万一〇〇〇円となるのである。
三 計画性について
原判決は、被告人が「謝礼金を得るのに際して業者が架空の経理処理を行うことを当然の前提とし、当初からその所得については申告する意思を持っていなかった」として、「その意味で計画的な脱税といえる」と判示し(判決書三三丁)、また、罪となるべき事実においても、被告人が、「若松と須藤をして、第三者に対する支払いを仮装する経理処理を行わせ」たと認定している(同二丁表)。
1 原判決は、あたかも被告人が、若松・須藤らに対し、仮装の経理処理による脱税を指示し、あるいはそのような経理処理に関与していたと認定するかのようである。
2 しかしながら、証拠上、右認定を導き出すことはできないものである。すなわち、若松の検察官に対する供述調書(証拠書類群第三分冊八一丁~二八九丁)、によれば、被告人のリベート授受に関する取引においては、架空の経理処理につき、<1>大沼興業(株)、<2>(株)サンアート、<3>佐藤征弘、<4>(株)エスティ企画、<5>順幸産業(株)、<6>西北実業(株)、が利用されている。若松は、<1>大沼興業(株)と<2>(株)サンアートについて、阿佐ヶ谷南物件では自己の知り合いの大沼興業(株)の社長の福田亨に相談したところ、大沼興業(株)と(株)サンアートが引き受けてくれることになった旨供述し(右同九四丁裏)、<3>佐藤征弘については、自己の友人であると供述し(右同九八丁裏)、<5>順幸産業(株)については、初穂の片桐から順幸産業の幸本守平を紹介されたとし、片桐や幸本から、初穂以外の物件取り引きでも順幸を絡ませてほしいと言われていたので、使うことにした旨供述している(右同一二六丁裏)。また、<4>エスティ企画についても自ら依頼して了承を得た旨供述している。社長の佐藤登志哉は(株)ビッグアトラスという会社も経営しており、被告人との取引よりも初穂の片桐が関与した取引につき、より多くの架空領収書を発行していることが窺われ(右同、一一八丁、一五四丁、二〇五丁)、西北実業についても、当時若松と立ち退き交渉などを一緒にやっていた会社であり、初穂の片桐の依頼によりその支払を隠蔽する協力を要請したことも明らかである(右同二〇八丁、二〇九丁)。
以上の各証拠によれば、若松の謝礼金支払における架空経理処理については、被告人が何等の関与をしていない事実こそが認定されるべきであり、被告人がかかる経理処理を「前提とし」ていた、あるいは「行わせた」のではないのである。
3 また、須藤の検察官に対する供述調書(証拠書類群第七分冊八三四丁~九四二丁のうち弁護人同意部分)によれば、被告人の謝礼金授受に関する取引においては、架空の経理処理につき、<1>西部建設信用販売(株)、<2>日本住地(株)、<3>(株)石建、<4>(株)長藤商事、<5>新都市開発(株)、<6>(株)金馬商事、<7>(有)秋田不動産が利用されているが、須藤は、<1>ないし<3>を利用するに当たっては、「架空領収書を書いてもらう書き賃を渡したりするのは、私の方で段取りすると話し」ている旨供述し、被告人に何等関与させることなく自らの判断で架空の経理処理を行ったことを認めており(右同八六九丁)、その余の会社を利用した架空経理処理についても、被告人の関与を窺わせる供述は行っていない。しかも、須藤は「架空の手数料支払を計上するなどして利益を圧縮し一般の法人税はもちろん土地重課税を脱税していた」とし(右同八三五丁)、「トースの利益圧縮をするのに協力してもらっていたB勘屋に対して、架空領収証を書いてトースの脱税に協力してもらう謝礼金」を渡していた旨述べ(右同八四一丁)ており、須藤において、もっぱらトースの利益圧縮の目的で前記各会社を利用していたことを供述している。したがって、やはりこの場合にも、被告人がかかる経理処理を「前提とし」ていた、あるいは「行わせた」ものではない。
四 動機について
原判決は犯行の動機として、「自己の自由にできる資産を増加させるという利己的なもので、とくに汲むべきところはない。」と判示する(判決書三三丁裏)。
1 しかしながら、被告人が本件謝礼金を取得していたのは、不二建設及び和光のために使用するためであり、内山への支払や、三晃設計や岩屋に対する支払約束などは、このことを裏付けるものである。また、昭和六二年二月に内山に五〇〇〇万円を現金で返済し、同年一二月末には内山のために運用していた株式ファンド類をメモに書き出し、その返還を申し出て、現に一度は返還した。
なお、被告人は、国税局の査察段階においても、内山につき「Aさん」という名称で伝えており、捜査段階で依頼した弁護人に対しても、Aさんに約二億円以上の金員を支払った旨打ち明けているのである(第六回公判調書中被告人の供述部分、公判調書群第一〇分冊一六二丁~一一七八丁、一八九)。また被告人は、昭和六〇年の秋頃、本件リベート保管当時、不二建設社長の山口に対して、「裏金は準備できる。」「簿外の資金が必要であれば自分が用意できる。」旨伝えている(第一五回公判調書中被告人の供述部分・右同第一三分冊七二三丁、第八回公判調書中山口の供述部分・右同第一一分冊三五〇丁、三五一丁)
2 被告人が会社に在職していた当時に個人として取得した主な資産は、自宅の建物(敷地は借地である)河口湖のリゾートマンション(フィットネススポルシオン河口湖四〇四号室)、新宿御苑のマンション(ルネ御苑プラザ七一三号室)、大和市西鶴間のマンション(ハイネスアミティ鶴間二-一〇〇一号室)、の三戸である。右購入の頭金は、個人の蓄えや京都からの預かり金を借用するなどして都合し、全てローンにて取得したものであり、被告が本件謝礼金を自己の資産を増加するために使用していないことは明らかである。
3 また被告人は、本件起訴対象年度の当時、給与、特別賞与等金銭的に特に不自由している状況ではなく、むしろ金銭的には極めて恵まれた生活を送っており、老後についても、会社の業績に最大の貢献をした役員である以上、会社からは十分な処遇が期待できる境遇にあった。しかも、被告人の自宅には、何れは兄弟の間で明確に分割すべきであるにしろ、総額二億五〇〇〇万円にも及び京都からの茶道具売却代金が、保管されているのであり、自己の資産をこれ以上増やそうとの意図を抱くはずがない状況であった。
4 以上の事実に照らせば、本件犯行が自己の自由になる資産を増やそうという動機によって行われたという原判決の認定は、到底事の真相を正確に把握したものとは言い難い。
五 判示第四の事実について
原判決は、被告人が「国税局の査察を受けた約一か月後に、判示第四の犯行を行っており、ここに納税意識の希薄さが現れているといえる。」と判示する(判決書三三丁裏)。
右第四の犯行とは、昭和六三年三月一五日付の確定申告であるが、当時被告人としては、謝礼金授受の相手方であるトースの須藤から「自分も言わないから、言ってはならない。」旨指示されていたので、右収入を除外して申告してしまったのである。
しかし、被告人は、その後右事実を悔い改め、平成二年三月一五日に修正申告をなし、直ちに納税を完了している。むしろ納税を怠ったことに対する十分なる反省の態度こそが評価されて然るべきである。
六 いわゆる口裏合わせについて
1 原判決は、「謝礼金を提供した業者に税務当局の調査が入ったことを知ると、業者との間で、自己の脱税行為が発覚しないように口裏を合わせた。」旨指示している。
しかしながら業者の若松との間においては、前記第二、四、2(二)で述べたとおり、被告人は調査を受けた若松の依頼を受け、修正申告をしているのであって、発覚しないように口裏を合わせた事実はない。
業者の須藤との間においては、なるほど須藤からの申し出によるとはいえ、脱税を否認していたことがあり、口裏を合わせていたとされてもやむを得ない事実がある。しかしながら前項のとおり、この点について被告人は深く反省し、後に修正申告しているのである。
2 また原判決は、「被告人が査察調査を受けると自宅に保管していた現金や株券を親族に預けて親族との間でも口裏合わせを依頼するなどし」と判示する。
しかしながら、前記第二、四、2(三)で述べたとおり、被告人が親族に預けた現金や株券は被告人と親族らの固有財産であった、預けた理由は本件謝礼金との混同を避けるためであったし、また親族との間に口裏合わせをしたことはない。
七 主張及び供述の変更について
原判決は、被告人が、「逮捕されるまでは一業者からの謝礼金に関しては脱税を否認し続け、公判においては再度否認に転じて理由のない弁解をし、罪を免れるためなりふりかまわないような態度を示しているのであり、自己の行為に対する反省が十分なのか疑問がある」ので被告人の刑事責任は重いと判示する。
1 たしかに、被告人は、捜査段階から当公判廷の第一回期日に至るまで、本件謝礼金が被告人の個人所得であることを認めて、その後、同収入は被告人が会社のために受領したものであって、会社の財産であると主張するに至り、また謝礼金の金額についても、当初の段階まではこれを認めていたものの、その後右金額につき争う主張を行っている。そのために、捜査機関、更には原裁判所を煩わせるに至ったことについて、被告人は十分に反省しているところである。
2 しかしながら、被告人は決して理由のない弁解を行っているものではない。被告人は第一回公判期日に至るまで、事実と異なる供述をし、真実ではない謝礼金収入についても、これをすべて認めてきた。しかし、その後自らの行為を改める決意をし、公判廷において真実を述ることにより、事実認定に誤りのない裁判が行われるよう努力してきたものである。
その結果、前記のとおり、公判廷においてこれまでの捜査段階において判明していなかった多くの事実が明らかとなってきており、トースからの謝礼金の受領時期と金額につき、被告人のアリバイが証明され、あるいは株式売買益の取得が認められないとして、検察官の主張が排斥されたのは、そのひとつの現れである。仮に、被告人がすべてを認めるという態度を変更しなければ、裁判所としては事実認定において誤りのある判断をするに至ったであろうと考えられるのである。
3 また、原審弁護人と被告人は、被告人の不二建設及び和光における地位・権限・謝礼金授受の目的態様、その保管状況、使途等に照らして本件謝礼金収入は不二建設及び和光に帰属する旨主張した。かかる主張自体は原判決において認められるには至らなかったものの、すでに述べたように、原審公判廷においては右主張を立証するに足る証拠が、被告人の供述以外にも種々顕出されている。すなわち、内山に対する支払約束に関する富永保の証言、内山への支払とその後の被告人の株式証券類での運用に関する島田守・中野俊之らの証言、妻吉住八重子のリベート保管状況に関する証言等々と、それを裏付ける書証である。
これら原審公判廷において提出された証拠類によれば弁護人及び被告人の前記主張を認定することは可能なはずである。また、これを認めないとする原判決の判断に立ったとしても、少なくとも、被告人をして「理由のない弁解をして、罪を免れるためになりふりかまわない態度」であるとする判示は、これら公判廷における証拠の価値を適正に評価したものとは到底思われない。
以上のように原判決が指摘する諸事実について、その実情をみれば、被告人の行為は、決して悪質なものではなく、また計画的・利己的なものでもない。
八 被告人に有利な情状について
他方、右の事実に加えて、被告人においては以下のとおり、その情状において十分に斟酌されるべき事実がある。
1 まず、被告人が、本件リベート及び株式売買益に関する所得の全てについて、特に不服を申し立てることなく自己の所得として修正申告を行い、国税のみならず地方税についても、その本税・延滞税・重加算税を含め全て納税を完了していること、及びその原資の大半が被告人の資産の売却や多額の借り入れによるものであることは、原判決も指摘するところである。
その納税の内訳は
昭和六三年二月四日修正申告分につき 二億〇九六六万二四〇〇円
同年七月一五日修正申告分につき 一億二六五八万八二〇〇円
平成二年三月一五日修正申告分につき 三億三三五一万三二〇〇円
であり、その納税額総額は金六億六九七六万三八〇〇円にも上り、被告人が受領したとされる謝礼金の総額をはるかに上回っている(弁五四号証~八八号証・証拠書類群第九分冊一四四二丁~一四七八丁、第六回被告人供述調書・公判調書群第一〇分冊一八六丁~一八八丁)。
かかる事実こそ、被告人の反省が十分であることを如実に示すものである。また、被告人が自己の意思により納税のために多額の借入れをし、相当な返済義務を負担することによって、すでに被告人は自らに制裁を科しているのである。
2 次に、被告人が不二建設・和光の業績向上に多大の貢献をしてきたことは既に述べたとおりであるが、本件のために懲戒免職という極めて厳しい処分を受け、それまでの会社における地位・収入・名誉等のすべてが水泡に帰してしまったのである。
それまで、大学を卒業して以来、一途に不二建設の社員として、家庭すら顧みることなく会社の業務に邁進してきた被告人にとって、会社からかかる処遇を受けたことは、奈落の底へ突き落とされるに等しいほどの苦痛である。
原判決は、かかる点を摘示して「一応の」社会的制裁を受けているなどと判示するが、それ以上のものであり、右の事実は被告人にとっては最大の社会的制裁に外ならず、その情状においては十分に斟酌されるべき事柄である。
3 一方、被告人は、実業人としての豊かな才能を有しており、現在まさにその才能をもって社会・経済に大きな貢献が出来る年齢である。被告人は高血圧、痛風、慢性腎炎といった持病に悩まされながらも、不二建設・和光を退職後株式会社ティー・ワイ・ティーを設立し、現在その経営を軌道に乗せるべく意欲を見せているのである。
被告人のかかる能力と意欲に照らせば、これにあえて自由刑を科すことは、被告人に今後社会的経済的にその能力を発揮し貢献できる可能性を奪い去ることにもつながりかねないのである。
4 さらに、被告人は、本件に関する納税資金に充てるため、多額の借財を背負うことになり、自己の資産であった三戸のマンションや自宅は全て売却せざるをえない状況となっている。
現在被告人には、会社の事務を手伝う妻のほかに、長女や未だ学生である長男、次女の家族があり、未だその家族の生活と今後の行く末が被告人の双肩にかかっているのである。
仮に、被告人が原判決通りの自由刑と罰金を科せられるならば、直ちに債権者より右借財の返済を迫られることになり、そのために会社の倒産、家族の生活苦など深刻な事態を招来することは必定である。また、被告人の会社の取引先に対しても多大な迷惑を及ぼすこととなり、周囲に与える影響は甚大である。
以上の事情に照らせば、脱税額が三億円余りであるとの認定に立ったとしても、被告人を懲役刑の実刑に処した原判決の量刑は重きに過ぎ、破棄を免れず、執行猶予を付するのが相当と思料する次第である。
上申書
安田道夫
一、私は神宮壽雄弁護士とともに、被告人吉住隆弘に対する所得税法違反被告事件について捜査段階の平成元年五月二四日から、一審の第一回公判期日後である平成二年五月一日まで弁護人の地位にあった者です。今般、被告人から平成四年三月二七日、東京地方裁判所で懲役一年八月、罰金七〇〇〇万円の判決が宣告されたこと、および自分の主張する事実、特に内山勝美に対して会社の業務を進めるため二億円以上の金員を支払った事実が認められなかったことを聞き、控訴審裁判所には是非とも次の事実に目をむけて頂きたく上申致します。
二、第一に、被告人は捜査段階において私に対し右内山に対し会社の業務を進める必要があって二億円以上の金員を支払った旨述べていたことです。
ただし当時は相手がAさんというだけで内山という名前を明らかにしませんでしたし、また会社のいかなる業務に関連していたかについても言いませんでした。私は被告人と何回か接するうち被告人が作り話をしているのではないと感じましたので、「その事実は本件にとって極めて重要であるから」と言って被告人に具体的な説明を求め、捜査機関に対しても真実を述べるべきことを勧めました。
しかし被告人は、迷った末、「裏金で支払ったので名前を明らかにすれば相手に迷惑がかかる。また裏金の実情を明らかにすると会社に迷惑がかかる」と言って遂に具体的な説明をすることを拒んだのでした。
私は、捜査および公判において弁護人としていかなる方針を採るべきか考えましたが、被告人が事実を明らかにしないし、また明らかにして欲しくないと言う以上やむを得ないと判断し、二回にわたる保釈請求に当たっては、保釈すべき理由として被告人が事実を認めている旨主張し、第一回公判においては事実は争わない旨の意見陳述をすることにしたのです。
三、第二は、なぜ被告人が第二回公判以後、供述を変更して内山に対して支払った事実を述べることになったのか、ということです。二つの理由が主になっています。
一つは内山が平成二年四月二日に死亡したことです。もう一つは、同年四月二〇日頃、私たち弁護人が事件の見通しについて厳しい処罰が予想されると言ったことを被告人が人伝に聞いたことです。被告人はその直後、私を訪ねてきて、私に対し「実刑になると言うならどうして早い時期に直接私に言ってくれなかったのか。何とかかばおうと思っていた内山さんも死んでしまったし会社も全く冷たい。こうなった以上、自分は全てをありのまま裁判所に訴えて、そのうえで判断してもらいたい」という趣旨のことを言ったのです。
私は、それに対しこう答えました。「真実を述べることは最も大切である。あなたは当初からそうすべきであった。しかし私たちは事実を争わないという方針でこれまで進めてきた。だからいまさら私たちが異なる方針で公判を進めることはできない。私たちを解任した形にして、別の弁護人を選任するべきである。」
被告人は、私の意見を了解し、同年五月一日、私たち弁護人が準備した解任届けを作成して裁判所に提出し、その後、現弁護人らを選任して新しい方針で公判に臨むことにしたのです。
四、被告人が内山に対して金員を支払った事実についての私と被告人とのやり取り、それをめぐる弁護方針の変更と弁護人の交代は以上の経過でした。裁判所におかれては、この経過に照らし、被告人が裁判所には真実を訴えようとしていることをご理解頂きたく、本上申に至った次第です。
平成四年八月一七日
弁護士 安田道夫
東京高等裁判所第一刑事部 御中
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